アメリカ人が日本で、ちょっと「政治的な」近所付き合い
TAKASHI AOYAMA/GETTY IMAGES
<「遠くの親戚より近くの他人」とはやや異なるが、身内との会話で米大統領選の話ができない在日アメリカ人は多いと聞く。どうして人は現状維持に票を投じるのか、考えさせられる選挙だった>
せっかく週刊誌を購読していても、気になる時事ニュースについて意見交換できる話し相手がいない──多くの外国人にとって、これは悩みの種だ。何も日本に限った話ではなく、筆者の経験では、どこの国のどこの町に行っても、そこに住む「旧住民」は新しく引っ越してきたよそ者と深みのある話をなかなかしてくれない。
でも、ときどき例外が現れる。うれしいことに今、僕の家の近所には、熱心に談義をしてくれる物知りの年配者がいる。しかも、論語や寓話、世界各国のことわざを引用してくれるので、彼との会話はけっこう勉強になるのだ。そんな話をするうちに、この年配者と友人になった。
先日も、僕が何か口にする前に、この友人はあきれた顔で「自掘墳墓」という四文字(「墓穴を掘る」に類する中国のことわざ)を僕に見せてきた。唐突のことではあったが、何を言いたいのかはだいたい見当がついた。その日は11月4日──アメリカで大統領選挙が展開されていた日。あるいは友人に言わせれば、アメリカの有権者が自分で自分の首を絞めていた日だ。
彼が問題視していたのは、バイデン勝利かトランプ勝利かということより、そもそも両者が接戦になっていたという事実だ。なぜトランプが率いる共和党に対する完全かつ圧倒的な否認にならなかったのか?
トランプは負けた。しかし、7000万人以上が彼を次期大統領として選択した。パンデミック(世界的大流行)に対する失策を考えただけでも、これだけ多くの人が変わらず共和党を支持しているのは確かに変だ。自分のすぐ近くで人が死んでいっているのに、「現状維持」に票を投じる?
一方、日本はどうだろう。アメリカと比べてコロナ対策はずっといいが、それでも他の面で「現状維持に票を投じるの?」と似たような批判に遭う。第2次大戦以降、ほとんど政権交代のない道を歩んできた日本人は、ときおり自分の利益に反した選択をしているのではないのか?
民主主義国において変わるべき政治が変わらない現象について、大まかに言って2つの分析がある。「有権者は政治家のレトリックや大企業の宣伝力にだまされている」は、その1つ。もう1つは「人々は自分のゲマインシャフト(共同社会)を壊す巨悪の力に必死に対抗している」で、例えばアメリカで少数派に転落しつつある白人の社会変動に対する不満やフラストレーションを指す。そして、実はもう1つ別の理由があると思う。それは単なる「習慣」。