最新記事
中東

戦火の拡大は「抵抗の枢軸」を狙うハマスの思うつぼ...中東全域が全面戦争の勃発前夜のような不穏な空気に

A Dangerous New Phase

2024年10月1日(火)16時26分
アッシャー・カウフマン(ノートルダム大学歴史・平和研究教授)
「戦火の拡大はハマスの思うつぼ」中東全域が全面戦争の勃発前夜のような不穏な空気に

イスラエルはレバノン南部への空爆を増やしている(9月19日) ANADOLU/GETTY IMAGES

<イスラエルがレバノンのヒズボラへの攻撃に戦闘の「重心」を移した。国境地帯で小規模のドンパチを繰り返すにとどめてきた消耗戦が新たな段階に>

イスラエルとレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラは既にほぼ1年、国境を挟んで互いを挑発し、小競り合いを繰り返してきた。

こうした消耗戦がエスカレートすれば中東全域を揺るがす全面戦争が勃発しかねない──観測筋はそう警告していたが、ここ数日の動きで、この壊滅的なシナリオがにわかに現実味を帯びてきた。


最初に起きたのは9月17〜18日、レバノン各地でヒズボラ戦闘員らの所持するポケットベル型とトランシーバー型通信機器にイスラエルが仕掛けた爆破テロだ。さらにイスラエルはレバノンの首都ベイルート郊外を空爆し、ヒズボラの精鋭部隊を率いるイブラヒム・アキルを殺害した。

ヒズボラは報復としてイスラエル北部の軍事施設などをロケット弾で攻撃し、イスラエルはさらなる空爆でこれに応酬。多数の民間人が死亡し、南部の国境地帯から住民が大挙して北部に逃れたという。

そして27日にはヒズボラ本部への空爆を実施。標的は最高指導者ハッサン・ナスララだったとも言われている。

レバノンとイスラエル研究が専門の筆者は、両国の消耗戦を昨年10月から追ってきた。イスラム組織ハマスがイスラエルへの奇襲攻撃を実施した翌日からだ。

以後、イスラエルはガザに激しい報復攻撃を加え、ヒズボラはハマスとの連帯の証しとしてイスラエル北部にロケット弾を多数撃ち込んできた。

それでも、つい最近まではイスラエルもヒズボラも、ヒズボラの後ろ盾であるイランも寸止めの要領で戦闘の拡大を避けてきた。本格的な戦争になれば、どんな結末になるかは分かり切っているからだ。

イスラエルの軍事力なら、ガザと同様、レバノン全土を焦土に帰すことも可能だ。イスラエルの今回の攻撃でダメージを食らったとはいえ、ヒズボラもまた、イスラエルの戦略的要衝に何千発ものミサイルを撃ち込める。

だからこそ両者は暗黙のレッドラインを設けて、国境地帯で小規模のドンパチを繰り返すにとどめてきたのだ。

「ゲームのルール」を変更

だがイスラエルがヒズボラに仕掛けた攻撃で、この消耗戦は新たな段階に──これまでよりはるかに危険な段階に突入した。今や中東全域が全面戦争の勃発前夜のような不穏な空気に包まれている。

全面戦争になれば、レバノン、イスラエル双方とも壊滅的な損害を受ける。イランとアメリカまで直接対決に引きずり込まれる危険性があり、それにより昨年10月の奇襲攻撃を仕組んだハマスの狙いどおりの展開になりかねない。

ハマスはイスラエルが最大級の報復攻撃を行うことを先読みし、それに怒った中東各地の武装組織が「打倒イスラエル」の旗の下、一丸となることを狙っていた。

ナスララはこの1年近くイスラエル北部への攻撃をやめる唯一の条件として、イスラエルがハマスと停戦合意に達することを挙げてきた。だがイスラエルはそれとは逆の方向に突き進んだ。

イスラエルのヨアブ・ガラント国防相は、ヒズボラに対する今回の攻撃でイスラム武装組織との戦いは「新たな段階」に入ったと述べ、戦闘の「重心」を北に、つまりレバノンに移す考えを明らかにした。

イスラエル政府はまた、ヒズボラの攻撃で家を追われた北部の住民が安全に帰還できることを、この戦争の新たな目標として追加した。

ヒズボラの通信機器を標的にした攻撃とアキル殺害は、イスラエルがこの危険なゲームのルールを変えようとしていることを物語る。イスラエルはヒズボラに圧力をかけて譲歩させる道を選んだのだ。

newsweekjp_20241001033007.jpg

強硬な姿勢を一切崩さないイスラエルのネタニヤフ首相(写真)とヒズボラの指導者ナスララによって、イスラエルとレバノンの一般市民は大きな犠牲を強いられている ABIR SULTANーPOOLーREUTERS

ナスララは19日、ポケベル爆発事件後で初となるテレビ演説を行い、ヒズボラは大きな打撃を被ったが、イスラエルに屈するつもりはないこと、そしてハマス支持の方針に変わりがないことを強調した。

なかでも注目されるのは、今回の事件を、イスラエルが「何十年にもわたりやってきた虐殺」の最新の事例と位置付けたことだ。かねてからレバノン人とパレスチナ人の間では、「イスラエルは定期的に無実の市民を虐殺する犯罪組織」という認識が定着している。

今回の事件もその1つだと定義したわけだ。

ナスララはまた、イスラエルの行動は「あらゆるレッドラインを越え」ており、宣戦布告に近いと述べ、「報復はなされる」と明言。その一方で、「問題はいつ、どの程度の規模か」だとして、全面戦争は避けたい本音をにおわせた。

これに対して、イスラエルはさほど慎重な姿勢を示していない。昨年10月にハマスの奇襲攻撃を受けて以来、ヒズボラとの緊張は封じ込めてきたが、ここへきて、ひょっとすると手に負えなくなるかもしれないエスカレーションに手をかけているようだ。

イスラエルが今回のポケベル爆発事件を、どのような戦略で行ったのか見極めるのは難しい。

今回のガザ戦争が始まった時から、イスラエルの政治目標は不透明で、戦略も一貫性を欠いてきた。ベンヤミン・ネタニヤフ首相の最大の関心事は、自らの政治生命と権力の維持であり、それを国家の利益と結び付けているのだと、批判派は指摘する。

それはヒズボラの対応にどのような影響を与えるのか。

「抵抗の枢軸」結束が狙い

大きなダメージを受けたから、ヒズボラが活動を縮小したり、イスラエルへの越境攻撃をやめたり、イスラエルとの国境地帯から撤退したりするとは考えにくい。

そうはいっても、通信システムに大打撃を受け、指導部の大部分が欠けたヒズボラが、イスラエルに対して全面戦争を始めるのはあまりにもリスクが高い。

そんなことになれば、ヒズボラも、レバノンも、場合によってはイランも、大きな代償を払う恐れがあることは、ナスララもイラン指導部も承知している。

ある意味で、ネタニヤフの指導下にあるイスラエルの人々と、ヒズボラの大きな影響下にあるレバノンの人々は、誰かの利益のために自分たちの暮らしが脅かされるという、似たような境遇にある。

ネタニヤフは最近、レバノンと接するイスラエル北部の住民の安全に懸念を示した。だが、この1年近くにわたって彼らをますます危険に陥れる政策を自ら取ってきた(そしてガザ戦争の停戦を断固拒否してきた)後では、空虚に聞こえる。

レバノンは、大多数の住民の意思に反して、ヒズボラによって今回の争いに引きずり込まれ、一部地域がイスラエルの爆撃を受けて大打撃を受けている。

確かに、パレスチナ人に同情し、ガザにおけるイスラエルの軍事行動に激怒するレバノン人は多い。だが、そのために、自分たちの平穏な暮らしまで差し出すつもりがあるかどうかは疑問だ。

一方、昨年10月の奇襲攻撃の首謀者で、最近ハマスのトップに就任したヤヒヤ・シンワールは、イスラエルとヒズボラの緊張悪化に満足の笑みを浮かべているかもしれない。

シンワールは、イスラエルに対する「抵抗の枢軸」(イエメンのフーシ派やヒズボラを含む)を結束して立ち上がらせ、地域戦争に持ち込もうという計画なのだ。

あれから約1年。世界はそのシナリオに、かつてなく近づいている。

The Conversation

Asher Kaufman, Professor of History and Peace Studies, University of Notre Dame

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


20241008issue_cover150.png
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2024年10月8日号(10月1日発売)は「大谷の偉業」特集。【保存版】ドジャース地区Vと初の「50-50」を達成。アメリカは大谷翔平をどう見たか

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

仏製造業PMI、9月改定44.6 6月以来の高水準

ビジネス

ユーロ圏製造業PMI、9月改定45.0で今年最低 

ビジネス

ユーロ圏インフレ率、25年中に2%で安定へ=フィン

ビジネス

独製造業PMI、9月改定40.6 受注急減で1年ぶ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大谷の偉業
特集:大谷の偉業
2024年10月 8日号(10/ 1発売)

ドジャース地区優勝と初の「50-50」を達成した大谷翔平をアメリカはどう見たか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ軍、ドローンに続く「新兵器」と期待する「ロボット犬」を戦場に投入...活動映像を公開
  • 2
    欧州でも「世紀の豪雨」が町を破壊した...100年に1度の記録的大雨「ボリス」
  • 3
    エコ意識が高過ぎ?...キャサリン妃の「予想外ファッション」に世界が驚いた瞬間が再び話題に
  • 4
    年収600万円、消費者金融の仕事は悪くなかったが、債…
  • 5
    ジェットスキーのロシア兵を、FPVドローンが「排除」…
  • 6
    ワーテルローの戦い、発掘で見つかった大量の切断さ…
  • 7
    「石破首相」を生んだ自民党総裁選のダイナミズムと…
  • 8
    朝日新聞の自民党「裏金」報道は優れた「スクープ」…
  • 9
    南洋のシャチが、強烈な一撃でイルカを「空中に弾き…
  • 10
    KATSEYEが韓国ハイブと米ゲフィンの手でデビュー、K…
  • 1
    漫画、アニメの「次」のコンテンツは中国もうらやむ日本の伝統文化? カギは大手メディアが仕掛ける「伝検」
  • 2
    エコ意識が高過ぎ?...キャサリン妃の「予想外ファッション」に世界が驚いた瞬間が再び話題に
  • 3
    ウクライナ軍、ドローンに続く「新兵器」と期待する「ロボット犬」を戦場に投入...活動映像を公開
  • 4
    ワーテルローの戦い、発掘で見つかった大量の切断さ…
  • 5
    白米が玄米よりもヘルシーに
  • 6
    50年前にシングルマザーとなった女性は、いま荒川の…
  • 7
    中国で牛乳受難、国家推奨にもかかわらず消費者はそ…
  • 8
    メーガン妃に大打撃、「因縁の一件」とは?...キャサ…
  • 9
    キャサリン妃の「外交ファッション」は圧倒的存在感.…
  • 10
    【クイズ】「バッハ(Bach)」はドイツ語でどういう…
  • 1
    「LINE交換」 を断りたいときに何と答えますか? 銀座のママが説くスマートな断り方
  • 2
    エリート会社員が1600万で買ったマレーシアのマンションは、10年後どうなった?「海外不動産」投資のリアル事情
  • 3
    「まるで別人」「ボンドの面影ゼロ」ダニエル・クレイグの新髪型が賛否両論...イメチェンの理由は?
  • 4
    森ごと焼き尽くす...ウクライナの「火炎放射ドローン…
  • 5
    「もはや手に負えない」「こんなに早く成長するとは.…
  • 6
    中国の製造業に「衰退の兆し」日本が辿った道との3つ…
  • 7
    漫画、アニメの「次」のコンテンツは中国もうらやむ…
  • 8
    国立西洋美術館『モネ 睡蓮のとき』 鑑賞チケット5組…
  • 9
    北朝鮮、泣き叫ぶ女子高生の悲嘆...残酷すぎる「緩慢…
  • 10
    死亡リスクが低下する食事「ペスカタリアン」とは?.…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中