ヒズボラの無線機同時爆発の黒幕とみられるイスラエル・モサドの暗殺史
Exploding Pagers to Cyber Worms: Mossad's Most Audacious Hits
イスラエルは軍事力が強いだけでなく、秘密情報機関モサドの「実力」も知られている DC Studio/Shutterstock
<ヒズボラの通信機器に爆薬を仕掛けたのは、外国の領土で敵の司令官や科学者を次々に暗殺し、サイバー攻撃も手掛けてきたモサドなのか>
レバノンの首都ベイルートなどで9月18日、イスラム教シーア派の政治・武装組織ヒズボラの使用するトランシーバー型の通信機器が相次いで爆発、多数の死傷者が出た。
前日には同国各地でヒズボラの戦闘員らが携行するポケットベル型の通信機器がほぼ同時に爆発し、多数の死傷者が出たばかりだ。いずれもイスラエルの情報機関モサドの犯行とみられている。
ヒズボラ指導部は、携帯電話はイスラエルに追跡される危険があるとして、戦闘員らにポケベルなどの通信機器を配布していた。
ヒズボラとレバノン政府は、イスラエルが通信機器に爆発物を仕掛け、遠隔操作で爆発させたと主張。イスラエル軍はこれらの攻撃についてコメントを避けている。
モサドはイスラエルの首相府直轄の秘密情報機関で、1949年の創設以降これまでに一般に知られているだけで少なくとも12の作戦と25件の暗殺を実施。外国の領土でも作戦を遂行するなど強引な手口で、泣く子も黙る世界最強クラスの諜報機関として恐れられてきた。
パレスチナゲリラを20年間追い続ける
1972年、西ドイツのミュンヘンで開催された夏季五輪の最中、パレスチナの武装組織「黒い9月」が選手村に侵入し、イスラエル選手団のメンバー2人を殺害し、9人を人質にする事件が発生。最終的に救出作戦が失敗し、人質全員が死亡する悲劇となった。
これを受けてモサドは「バヨネット作戦(神の怒り作戦)」を開始。これは、このミュンヘンのテロ攻撃に関与したとみられる人物を1人残らず暗殺する報復作戦で、欧州と中東全域で20年余りにわたって展開されたとみられている。
モサドはその後も数々の暗殺やサイバー攻撃を手掛けてきた。以下はその手段を選ばぬやり口を示す主な事件だ。
ジェラルド・ブルの暗殺
ジェラルド・ブルはカナダ人のエンジニア。イラクのサダム・フセイン元大統領が推進した宇宙銃開発計画「バビロン計画」の一環として「スーパーガン」の設計を指揮し、1990年にベルギーの首都ブリュッセルの自宅前で殺害された。
報道によれば、玄関のドアに向かう途中、背後から至近距離で5発の銃弾を浴びたという。犯人逮捕には至らず、公式には認められていないものの、モサドによる暗殺との見方が一般的だ。