恩師を殺害したバスジャック犯の少年に、5年後「つらかったね」...本当にあった「再生」の物語
しかし、「家族の看病で疲れていて、居眠りをしてしまし、気づかなくてごめんなさい」と謝る女性の首を、「お前は俺の言うことを聞いていない!」と憤る「少年」が刺してしまったとき、「ああ、この子は、本気だったのか......」と気づいたのだという。
その後、運転手から「トイレ休憩も必要じゃないか」と声をかけられた「少年」がそれを了承したためバスが停まり、ひとりずつ順番にトイレに行くことになった。ところが、最初に降りた人が非常電話から警察に通報したことを知ると彼は激昂する。
「あいつは裏切った。連帯責任です」
と言いながら、私の顔面に包丁を振り下ろしました。
私は、反射的に両手で顔を覆いました。その両手首を、少年が何度か切りつけました。さらに後頭部を切られた私は、座席に座っていられなくなり、「キャー」と、言うともなく悲鳴をあげながら、我が身ではないように身体が倒れていきます。まるでスローモーションか何かのように、ふわーっとした感覚でした。(11〜12ページより)
そんな状況にあっても、「いま私が死んだら、この子を殺人者にしてしまう......」と、"自分でもなぜ湧いてきたのかわからない"思いが頭の中を通り過ぎたという。しかし、横にいた塚本さんが刺されたことはわかっていなかったようだ。
事件後にたどり着いた、子どもたちの「居場所」をつくること
いずれにしても、これだけの惨状を体験したのであれば、外傷のみならず、心にも大きな傷を負って当然である。ましてや大切な人を失っているのだ。著者が「少年」に対して憎しみを抱いたとしてもまったく不思議ではなく、むしろ当然のことだろう。
そうしなかったのは、不登校の娘が抱いていた気持ちと、「少年」のそれに共通するものを感じたからなのだという。
ともあれ著者はこの事件を契機として、「少年」個人の問題ではなく、同じような悩みを抱えた子どもたちにまで視野を広げる。そして行き着いたのは、はけ口を持たない子どもたちの「居場所」をつくることだった。
不登校の子どもたちが集まる場所をつくり、いろいろな問題を抱えた子どもたちと接することにしたのだ。そしてそんな中、子どもの本音から気づきを得たりもする。
「居場所」を始めたばかりの頃には、「どうにかしてあげなくては」と思う私がいたのです。わざわざ来てくれている人に、何か「おもてなし」や「サービス」をしなければならない、というのが習い性になっているのでしょうか。
一方、私の思いやふるまいとは別に、来ている子どもたちには、子どもたちの感じ方があります。不登校の子どもは、大人がどのような気持ちで自分たちに向き合っているのかを敏感に感じとる子が多いようです。「何かしなければ」と思っている私は見透かされ、「俺たちは、なんもしてもらわんでよか!」とズバリ言われました。(113ページより)
子どもたちを「ありのまま受け入れよう」と考えるようになったにもかかわらず、無意識のうちに「どうにかしてあげよう」としていた自分自身に矛盾を感じたわけである。