ロサンゼルスのギャング抗争は、警察側も非道なプロファイリング、銃撃・投獄を行っていた
ロサンゼルス市警はギャングの取り締まりに力を入れてきたが… Jack Quillin-shutterstock
<暴力犯罪が多発する「ギャングの首都」では、警察もたびたび非難を受けていた。そして犯罪はオンラインへ。20世紀初頭から始まる、ロサンゼルスのストリート・ギャングによる犯罪の歴史を紐解く(その3)>
ロサンゼルス市の犯罪統計によると、殺人、重暴行、レイプなどギャングによる暴力犯罪が、控えめに言っても毎年5000件以上起きているという。
社会に対する不満、人種や民族的な差別は今も根強く残り、改善どころかますます実態の見えない活動へと広がり続けている。
地域住民を脅かすストリート・ギャングは流動的にかたちを変えながら、その領域を拡大し、行動を制限していく。地図には載っていない彼らの活動とは何か。
『世界は「見えない境界線」でできている』(マキシム・サムソン著、かんき出版)から、「ロサンゼルスのストリート・ギャング」の項を抜粋し、3回に分けて紹介する。
本記事は第3回。
※第1回:観光客向け「ギャングツアー」まであるロサンゼルス...地図に載らない危険な境界線はどこか
※第2回:クリップスとブラッズ、白人至上主義、ヒスパニック系...日本人が知らないギャング犯罪史 より続く
人種差別から政治思想まで...「スキンヘッド・ギャング」
ペッカーウッズと人種差別主義のスキンヘッド・ギャング(一部のグループはほかに、エクストリーム・スポーツ〔訳注 断崖や雪山などの厳しい環境下で行い、危険度や技術を競うスポーツ〕のプレイヤーも受け入れている)は、次第に南カリフォルニアの各地域で区別がつかなくなりつつある。
そうは言っても、人種差別主義のスキンヘッド集団の大半は、いかにもストリート・ギャングらしい縄張りへのこだわりと、極右の政治思想を合わせ持っており、別個のカテゴリーに分類されることが多い。
もちろん、政治思想はスキンヘッド集団に付きものというわけではない。1960年代のロンドンに起源のあるこの集団は多種多様で、必ずしも人種差別主義者とは限らなかった。
ところが1970年代後半に、西欧各国が国内に移民に対抗する極右の民族主義者を抱えこむようになると、ほどなく米国でもネオナチのイデオロギーとシンボルに触発された人種差別主義のスキンヘッド組織(その一部はさらに、自らの目的のためにキリスト教や異教の図像を取り入れている)が台頭した。
現在、人種差別主義スキンヘッドのギャング、あるいは「仲間(クルー) 」の大部分は比較的小規模で、地方または地域単位で独立して活動することが多い。ギャングには大変めずらしく、目的は金ではなく、マイノリティのコミュニティや組織を脅すのを好む傾向があり、その方法は器物破損(ユダヤ系コミュニティの建物に鉤十字を描くなど)や暴力(スチール製のつま先のブーツで蹴ったり踏みつけたりする「ブート・パーティ」は、彼らの代名詞になった)だ。
その結果、いまロサンゼルス大都市圏の特定の郊外地域で、地元住民の最大の脅威になっているのは、ライヒ・スキンズのような人種差別主義を標榜するスキンヘッド・ギャングである。