「劇場型政治家」小池百合子の限界...頼れる誰かに擦り寄る力と「丸のみ」にした3つの政策
OPPORTUNIST SUPREME
復活の下地には「何もしないと支持率が上がる」という都政らしい現象も重なっている。
都庁は道路や公園の整備・管理から福祉に至るまで26もの局を持ち、16兆円もの予算を動かす巨大官庁だ。しかもインフラや五輪のようなイベントを除けば、多くは地味な実務の塊で、人々と直接対面する市区町村を財源や事務でサポートする仕事も少なくない。
新聞には都政などを報じる「都民版」のページがあるが、16兆円に対して各紙とも1ページのみ。一般的な感覚として都民が見ているのは国政であって都政ではないからだ。
国政ならば新聞の1面や政治面は当然のこと、国際面や経済面でも政策が扱われる。また、他の道府県の地方紙なら県政が日常的に1面、2面に上る。そのいずれと比べても、都政の報道量は規模のわりに少ない(ウェブの記事量もおおむねこれに比例する)。
「大過なければまあいいや」という都民の感覚を反映しているのだ。その証拠に、多額の血税で新銀行東京の累積赤字を補塡した石原都政でさえ、決定当時の08年3月に47%に下がった支持率が、翌年には52%に回復したのである。
以下は私の仮説だが、17年の騒動以降、知事の座からの転落の危機を感じた小池は必死にサバイバルの道を考え、「危ない橋は渡らない、黙っていよう」と肚(はら)を決めたのではないか。強みを捨てる、難しい判断だ。
仮説を補うように、ある元都庁幹部からは「われわれ職員との会食でも小池知事は全部割り勘ですよ。金の問題が出ないのが小池さんの一番の強み」という証言を聞いた。
高額な交際費支出で批判を浴びた石原慎太郎の反省に立ったのだろうが、何かが変だ。政治家の強みがダメージコントロール? 政策への情熱ではないのか? そう、小池は守り。もはや攻めていなかった。
考えてみると、コロナで実務を主導しないのも、質問つぶしの記者会見も、発信でなく沈黙、積極的な選択というよりは消極的な選択だ。
いずれも、「そうすることでひんしゅくを買うことがあるかもしれないが、致命傷にはならない」という計算が働いている。あえて隠蔽しなくても不都合な真実が隠れやすい都政の「地の利」を最大限に生かす。それが小池の得意技になっている。
「擦り寄る力」と3つの政策
こうした振る舞い一つを見ても、小池の2期8年は盤石でも安泰でもなかった。もちろん知事は4年の任期中は辞めさせられないが、議会に与党を形成できなければ予算も通せない。与党から首相が出る議院内閣制とは、そこが異なる。