最新記事
中南米

メキシコ初の女性大統領に待ち受ける難題...殺害された候補者や立候補予定者は30人以上の「歴史的選挙」

The First Female President

2024年6月10日(月)16時35分
ルイス・ゴメス・ロメロ
メキシコ初の女性大統領に待ち受ける難題...殺害された候補者や立候補予定者は30人以上の「歴史的選挙」

シェインバウムは師と仰ぐロペス・オブラドール現大統領の残した負の遺産も引き継ぐ GERARDO VIEYRAーNURPHOTOーREUTERS

<メキシコ国内の暴力は空前のレベルに。前メキシコシティ市長のユダヤ系で環境工学の科学者、シェインバウム博士は治安を回復させ、行政権力の抑制と均衡が実現できるのか>

1953年10月17日、憲法改正により、メキシコで初めて女性の選挙権が認められた。その2年後には連邦選挙への投票も実現した。

それからおよそ70年、メキシコにようやく初の女性大統領が誕生する。

6月2日に行われた大統領選を制したのは、前メキシコシティ市長のクラウディア・シェインバウム。環境工学の博士号を持つ科学者で、カトリック教徒が7割を占めるメキシコを、ユダヤ系として初めて率いることになる。

大統領選は2人の女性候補の事実上の一騎打ちとなった。最有力候補のシェインバウムを支えるのは、与党・国家再生運動を中心とする左派連合「歴史をつくり続けよう」。

対するソチル・ガルベス前上院議員は、制度的革命党(PRI)、国民行動党(PAN)、民主革命党(PRD)から成る野党連合「メキシコのための力と心」を率いたが、30ポイント近い差で2位に終わった。

今回の選挙はメキシコ史上最大の選挙となった。登録有権者数は約9800万人超で、大統領、上下両院議会、数千の地方議席など計2万近いポストが争われた。

同時に、最も暴力的な選挙でもあった。殺害された候補者や立候補予定者は30人以上に上る。

新大統領は今後、2つの重要課題と向き合わなければならない。1つはメキシコ社会に蔓延する暴力と市民生活へへの軍の関与。もう1つは、行政権力に対するチェックアンドバランス(抑制と均衡)の喪失である。

シェインバウムが師と仰ぐ現大統領のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドールは、1つ目の問題を解決できず、2つ目の問題を著しく悪化させた。

ガルベスの敗因は、野党連合を構成するPRIやPANの評判が下がったことにある。これらの政党は、88年から2018年の民主化移行期の責任を問われている。

民主化移行に伴い、90年代に選挙でより独立性の高い政策決定を可能にする新法が制定された。だが当時の政権は凡庸な実績しか上げられず、社会の不平等も拡大した。さらに麻薬戦争が激化するなか、治安維持への軍の関与が強まり、社会に暴力が蔓延していった。

前任者の人気が追い風に

2度の落選を経て18年に大統領に就任したロペス・オブラドールは、06年と12年の選挙で敗れたのは対抗勢力の不正によるものだと訴えた。

彼は自身の政権を、メキシコを解放した3つの革命(スペインからの独立戦争〔1810~21年〕、政教分離を定めたレフォルマ戦争〔1857~61年〕、30年にわたる独裁に終止符を打ったメキシコ革命〔1910~20年〕)に続く「第4次変革」と位置付けた。

ロペス・オブラドールに言わせれば、新自由主義政策と腐敗に汚染された民主化移行期は、メキシコ史への裏切りだった。彼は選挙期間中も、法律で禁じられている対抗勢力への批判を繰り返した。

ロペス・オブラドールの支持率はいまだ65%。彼が実現させた低所得者向けの奨学金や年金などの改革は、多くの国民に高く評価されている。シェインバウムの選挙戦は、ロペス・オブラドールの人気に支えられていた。それだけに、その影が今後の政権運営に付きまとうことになる。

麻薬戦争によって命を落としたメキシコ人は、18年時点で約22万7000人に達していた。ロペス・オブラドールは就任当初、軍を治安任務から撤退させると約束し、「銃弾ではなく抱擁を」と繰り返した。

だが、その方針はすぐに変更された。彼は連邦警察を解体し、代わりに主に軍人で構成される「国家警備隊」を創設。その指揮権を大統領直轄の国防省に移管し、文民統制が及ばないようにした。

ロペス・オブラドールは軍の忠誠心と誠実さを信頼できると訴えたが、法的手続きを経ない処刑や汚職など軍が抱える疑惑を考えれば、その主張は極めて疑わしい。

5万人以上が行方不明

しかも、彼の任期中の過去6年間にメキシコ国内の暴力は空前のレベルに達した。

18~23年の殺人の発生件数は17万1000件を超え、そのうち約5000件がフェミサイド(ジェンダーに基づく暴力による女性の殺害)だった。この期間の行方不明者も5万人以上。これは1時間ごとにおよそ1人のペースだ。

シェインバウムは治安統制への軍の起用を否定している。一方で、国家警備隊を国防省の管轄にしたロペス・オブラドールの判断を支持するとも語っている。

ロペス・オブラドールは大統領への権限集中を徐々に推し進めた。任期後半、野党陣営が法案への不支持を表明すると、与党勢力は野党を無視し、小規模政党の協力を得て改革案を可決した(この立法プロセスは後に最高裁に違憲とされた)。

ロペス・オブラドールはさらに、憲法記念日の2月5日に司法制度の抜本改革を目的とした一連の憲法改正案を議会に提出した。可決に必要な過半数の票を集められなかったが、シェインバウムは憲法改正の実現を約束している。

今回の大統領選で、メキシコ人女性のレティシア・イダルゴは投票用紙に息子の名前を書いた。といっても、息子が立候補しているわけではない。11年のある日、18歳だった息子は自宅から警察に連れ去られ、今も行方不明だ。

イダルゴは選挙期間中に、失踪した人に投票するよう呼びかける抗議運動を立ち上げた。狙いは、行方不明者の存在を可視化することだ。

シェインバウムには、ロペス・オブラドールの政策と統治スタイルによって二極化された国を率いるという任務が待ち受けている。

彼女が気にかけるべき相手は、イダルゴのような人々──死や失踪の恐怖に怯えることなく、自由で平等で平和な生活を送る手段を提供するよう政府に求める人々──だ。対立候補に投票した人々だけではなく。

The Conversation

Luis Gómez Romero, Senior Lecturer in Human Rights, Constitutional Law and Legal Theory, University of Wollongongs

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


ニューズウィーク日本版 独占取材カンボジア国際詐欺
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年4月29日号(4月22日発売)は「独占取材 カンボジア国際詐欺」特集。タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ウィットコフ米特使、週内にモスクワ訪問 プーチン氏

ワールド

インド・カシミール地方で武装勢力が観光客に発砲、2

ビジネス

米国株式市場=急反発、米中対立の緊張が緩和

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、米財務長官が米中貿易摩擦緩
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 2
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 3
    パウエルFRB議長解任までやったとしてもトランプの「利下げ」は悪手で逆効果
  • 4
    日本の人口減少「衝撃の実態」...データは何を語る?
  • 5
    アメリカは「極悪非道の泥棒国家」と大炎上...トラン…
  • 6
    コロナ「武漢研究所説」強調する米政府の新サイト立…
  • 7
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 8
    なぜ世界中の人が「日本アニメ」にハマるのか?...鬼…
  • 9
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 10
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 4
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初…
  • 7
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 8
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 9
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 10
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 3
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 7
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 8
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 9
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 10
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中