ミャンマー「解放区」の実像:3年前のクーデターの勢いが衰えた国軍に立ち向かう武装勢力の姿
A RESISTANCE STRONGHOLD
住民が支援する抵抗運動
しかし今のデモソには強いコミュニティー精神がある。
ゾースウェイは隣の飲料問屋のオーナーから土地を借りているが、地代は余裕のあるときに払えばいいと言われている。
利益をため込まず、収益を反軍闘争に寄付している店も多い。評論家のタータキンは貸本屋とギターの販売店を営んでいるが、生活費として必要な金しか手元に残さず、残りは抵抗組織に寄付している。
貸本屋を始めたのは、もっと崇高な使命感からだ。
「ここの若者はみんな銃を持っていて、戦うことしか考えていないが」とタータキンは言う。
「人が地に足を着けて生きるには信仰と芸術も必要だと思う」
デモソの町から西に延びる幹線道路沿いには酒場や食堂、伝統的な茶店が何十軒も立ち並び、モヒンガ(魚のカレーヌードル)や発酵茶葉のサラダ、揚げたサモサといった定番のミャンマー料理や、もっとローカルな料理も提供している。
ある路傍の店は、反軍闘争の兵士たちに料理や食料を安く提供していることで有名だ。
店主のアーシャはロイコーで喫茶店を営んでいたが、国軍の兵士が自宅に押し入って息子の1人を連れ去った後、21年にロイコーを離れた。
「私には3人の息子がいて、2人はレジスタンスに、もう1人は資金集めの支援団体に入っている。軍は息子がレジスタンスを支援していることを知っていた。奴らは私の家に来て、息子を出せ、さもないと家族全員を射殺するぞと脅した」
アーシャは今、ロイコーに比べたらデモソのほうが安全だと思っているが、それでも故郷は恋しい。
「ここだって完全に安全じゃない。空爆もあるしね」と彼女は言った。
「安全が保証されるなら、すぐにでもロイコーへ帰りたいよ」
それでも避難先のデモソで生計を立てられる人は恵まれている。
新しいビジネスを始めるためのスキルや資本を持たない人にとっては、ここでの生活も厳しい。