ミャンマー「解放区」の実像:3年前のクーデターの勢いが衰えた国軍に立ち向かう武装勢力の姿
A RESISTANCE STRONGHOLD
クーデター前まで、カヤー州では諸派が乱立していた。
古参のカレンニー軍でさえ、他の少数民族系武装勢力に比べれば弱体だった。
だから「クーデター後の抵抗運動の膨大な熱量」を吸収し切れなかったのだろうと、米シンクタンク「国際危機グループ」でミャンマーを担当するリチャード・ホージーはみる。
代わりに台頭したのがKNDFで、大胆な攻撃により支配地域を広げることに成功した。
いささか意外な展開だった、とホージーは言う。
「彼らは目的意識が明確で、州内全域で兵力を動員でき、しかもそこへ他州の反軍勢力も応援に駆け付けた。その相乗効果が出たのだろう」
実際、カヤー州にいる反軍勢力のイデオロギーはさまざまだが、互いに解放区を分け合い、州都ロイコーの攻略戦でも手を結んだ。
昨年11月のことだ。
折しも、その2週間前にはミャンマー北部で主要な少数民族武装勢力3組織が一斉に蜂起して大規模な攻勢に出て、中国との国境の検問所も含めて、支配地域をかなり拡大していた。
カレンニー(現地語で「赤いカレン族」の意)の反軍勢力は現在、あえて幹線道路には出ず、その代わりデモソとシャン州のモービーを結ぶ道路など、一般道の多くを掌握している。
「つまり今の反軍勢力には、これらの道路の通行をいつでも遮断できる能力があり、国軍側にはその能力がないということだ」とホージーは指摘した。
こうした力関係の逆転は全国各地で見られるという。
カヤー州内の解放区には今、タータキンのような反体制派が身を寄せている。また戦闘で住む家を追われた民間人が生活を再建する場ともなっている。
キリスト教徒で20歳の女性エリザベス(ミャンマーの人は一般に姓を持たず名前だけを名乗る)は昨年、激戦地のデモソ郡東部から西部へ逃げてきた。
学業は断念せざるを得なかったが、今は大量の避難民の需要を満たす市場にできた新しい衣料品店で働いている。
「私の村には仕事がなかった」とエリザベスは言う。
「クーデターの前も村で働いていたけれど、小遣い程度の稼ぎにしかならなかった。でも今はまともな給料をもらえている。だから家族も養える」
同じ市場で、25歳の男性ゾースウェイは屋台の床屋を営んでいる。もとはデモソの北部に住んでいたが、クーデター後に国軍の猛攻撃があり、村は完全に破壊された。
「私の家も迫撃砲の直撃を受け、屋根が吹っ飛んだ」と彼は言い、村にあった400軒のうち300軒は破壊され、住めなくなったと付け加えた。
「ここでも物価が上がり続けているから生活は楽じゃない。この仕事でガソリン代や食費は賄えるが、お金がたまるほどじゃない」