今こそ「2国家解決」が現実的選択...どうしたら実現できるか?
TWO-STATE REALITIES
ガザに照準を合わせるイスラエル軍の大砲(11月21日) CHRISTOPHER FURLONG/GETTY IMAGES
<イスラエルとパレスチナの和平は、高尚な外交的理想であるばかりではない。21世紀の世界の平和と安定のために不可欠な政治的現実だ>
多くの幻想がもはや打ち砕かれた。イスラム組織ハマスによる10月7日の奇襲攻撃以前、イスラエルとパレスチナの数十年に及ぶ紛争は解決不能で、可能なのは対処することだけだと、第三者も当事者も考えるようになっていた。新たに芽生えた希望は、パレスチナ問題には触れずに、イスラエルが近隣アラブ諸国と和平を実現して外交関係を結ぶこと。パレスチナ人の関与も、パレスチナ国家の樹立もなしに、中東に平和をもたらせるのではないか──。
だが今では、そんな未来像は錯覚にすぎなかったとはっきりしている。
1947年、イギリスによるパレスチナ委任統治の終了が翌年に迫るなか、国連総会は当該地域をユダヤ人国家とアラブ人国家の2つに分けるというパレスチナ分割決議を採択した。だが48年にイスラエルが独立宣言を行った直後、近隣のアラブ連盟5カ国が宣戦布告し、第1次中東戦争が勃発。両者の争いは形を変えながら現在まで続いている。
紛争終結の選択肢は、今も昔もほとんど変わらない。理論的には、ヨルダン川と地中海の間の一帯をどちらかが制圧して勝利し、敗北側を追い出すのが1つの方法だ。しかし今の時代、そんなやり方が国際社会に通用するはずがない。ならば、唯一の道は双方が妥協して、緊密な経済関係で結ばれた2つの国家を創設することだ。75年以上前の国連決議は、同じ道筋を描いていた。
忘れられかけていた「2国家解決」は10月7日以降、パレスチナ自治区ガザで続く戦争と、果てしない中東紛争の完全な終結をめぐる議論において再浮上している。この新たな関心は、克服できないジレンマを前にした絶望の表出にすぎないのか。それとも、極度に困難とはいえ唯一の解決策を目指す真剣な姿勢の表れなのか。
2国家解決がまともに取り上げられたのは、90年代前半のオスロ合意当時が最後だ。解決の日は驚くほど近いと大勢が信じたが、95年にイスラエルのラビン首相がナショナリストに暗殺され、期待は消えた。その後、継続の試みはあったものの、合意は形骸化。テロで相手を屈服させられると考えたパレスチナ側の歴史的誤算である第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)が勃発し、和平プロセスは崩壊した。
以来、オスロ合意は「あり得た姿」の悲しい象徴と化し、2国家解決はかつてなく遠のいたようにみえる。テロや占領の圧迫を受け、急進派の圧力に押されて、双方が暴力と対決の道を突き進んできた。その頂点が10月7日の恐るべき民間人虐殺だ。