フィリピンパブ嬢と結婚し、子どもが生まれ、そして知った...フィリピンハーフたちの「母が家にいない」貧困生活
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<日本にいるフィリピン人女性は20万人以上。その子どもたちは...。フィリピンパブの研究者がパブ嬢と結婚するまでを綴った話題作の続編>
かなり前のことになるが、『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象・著、新潮新書)という新書をご紹介したことがある。フィリピンパブについて研究する過程でパブ嬢とつきあうようになった著者が、さまざまなハードルを乗り越えて結婚するまでのプロセスを綴ったものだ。
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印象的だったのは、とかく重たくなりがちな題材を、軽妙かつユーモラスに扱っていた点である。そのため6年を経た(早い!)今でもはっきりと記憶に残っているのだが、今回ご紹介する『フィリピンパブ嬢の経済学』(中島弘象・著、新潮新書)はその続編ということになる。
なにしろ、新たに家庭を築くことになったのだ。そのため今回は、結婚後も定職に就かずにいた著者の就職、妻の兄夫婦5人家族との共同生活、妻の妊娠、出産、そして子育てに至るストーリーが克明に描かれている。
守るべきものができたせいか著者の意識にも変化があり、それが筆致にも表れているところが注目点のひとつ。だが、今作のもうひとつのポイントは、後半に「フィリピンハーフ」についても言及していることだ。
著者夫婦の間に産まれた子どもは、日本人の父親とフィリピン人の母親を持つ「フィリピンハーフ」ということになる。そんなこともあり、ここでは同じような出自を持つ子どもたちの体験も紹介されており、その現実が浮き彫りにされているのである(なおハーフという呼び方には否定的な意味があるため、近年はミックスやダブルと呼ばれることもあるが、本書ではあえて「ハーフ」という言葉を使用している)。
「みんな泥水を飲んで生きている」
当然ながら、その生活は必ずしも平坦ではない。それは、ここで紹介されている伊藤翔さん(28歳)の話にも明らかだ。愛知県と静岡県を中心に、外国人労働者を派遣する会社に正社員として務める彼もまた、フィリピンハーフとして育った。
「フィリピンハーフの子供はみんな泥水を飲んで生きていると思いますよ」という言葉は重い。
「家はボロボロ。お母さんはいつも家にいない。小学1年生から皿洗いをしてました。ずっと1人でした」
1990年11月。愛知県瀬戸市で伊藤さんは生まれた。母親は暴力団の手引きの元1986年に違法に来日し、フィリピンパブで働いていたと聞いている。日本人の父親と母はフィリピンパブで出会い、結婚した。(154〜155ページより)
伊藤さんは生後5カ月の頃、フィリピンの祖父母の所に預けられた。言うまでもなく、フィリピンパブで働きながら赤ん坊を育てるのは難しいからだ。しかし病弱だった伊藤さんは1歳のときに熱性けいれんを起こし、再び日本の母親のもとへ戻る。以後は、親子で青森、静岡へと移り住んだ。
母親は昼間は工場、夜はフィリピンパブで働いた。だから「ずっと1人」だったわけだが、小学2年生までは、夜は母が勤めるフィリピンパブの更衣室のような場所で寝ていたという。