フィリピンパブ嬢と結婚し、子どもが生まれ、そして知った...フィリピンハーフたちの「母が家にいない」貧困生活
小学3年生からは、夜1人で留守番をする生活。深夜0時過ぎまでテレビを見て、母親が帰ってくる午前2時に一度起き、食事してまた就寝。朝になったら学校に登校するという毎日だった。
「母は家にいなかったですね。僕が病気で側にいて欲しい時も仕事に行っちゃう。インフルエンザにかかって死にそうな時も、母はいない。正直、母の愛情は感じたことがないですね」(155〜156ページより)
「死んだと聞かされていた父親が、生きていた」
昼夜なく働く母は家では疲れて寝てしまうため、服を洗濯してもらうこともできず、汚れたままの服を着て行かなければならなかった。すると、服が臭いという理由でいじめが始まり、次第に学校を休むようになった。もちろん、経済的にも生活は苦しかった。
「税金も滞納してたし、電気、ガスは止められてから払う。常にライフラインのどれかは止まってましたね。給食費は6カ月は滞納するし。(中略)とにかく貧乏でした」
木造2階建てのアパート。家賃は2万4千円。障子は破れ、骨組みだけ。家の中はゴミ屋敷で、ゴキブリが湧いていた。
伊藤さんは日本人の父親との記憶はない。母からは「お父さんはお前が2歳の時にトラックの事故で死んだ」と聞かされていた。だが大人になったときに、父親が生きていることを知った。
「その時は父を恨みましたね。離婚してなければこんな貧しい生活しなくてすんだのに」(157〜158ページより)
学校で歯の健診に引っかかっても歯医者には連れて行ってもらえなかったため、子どもの頃から虫歯だらけだったそうだ。夜は母が家にいないので、寝るのも遅くなる。朝になって腹を空かせて起きても、母は昼過ぎまで寝ているため食べるものがなかった。それが「普通の世界」だったという。
シングルマザーとして日本で伊藤さんを育てるフィリピン人の母は、社会から孤立していた。行政に相談すれば、生活保護や児童扶養手当などの支援を受けられたかもしれない。だが、フィリピン人の母親が1人で行政に繋がるのは難しかった。(158ページより)
日本人男性とフィリピン人女性の婚姻件数が増え、フィリピンハーフの子どもたちが増えたのは80年代後半からのことだ。在日フィリピン人の数は29万人以上(2022年6月末時点)で、うち7割が女性だというので、20万人以上のフィリピン人女性が日本にいる計算になる。
そのうち子どもが1人いる女性が半数だとしても、フィリピンハーフの子はおよそ10万人いることになるわけだ。したがって、そのうちの何割かは伊藤さんのような生活を強いられていると考えられなくもない。
身につまされる思いだ。
『フィリピンパブ嬢の経済学』
中島弘象・著
新潮新書
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[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。新刊は、『書評の仕事』(ワニブックス)。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。