それでもエルドアンを愛し続ける──国父が掲げた「ナショナリズム」は今も健在
Erdogan as “One of Us”
建国100周年の現実
イスタンブールのサライブルヌ港に停泊するアナドルは、トルコのためにトルコで建造された。外国人の乗船は認められていない。
公開されたのは、5月14日に行われたトルコ大統領選の約1カ月前。連日、最大1万5000人が詰めかけたと、見学希望者の行列を整理していた警官は言う。
大統領選の投票締め切り後、アナドルはハッチを閉じ、出港した。だが現職のエルドアンも対立候補も、当選に必要な過半数を獲得できず、決選投票の実施が確実になると、即座にUターン。
5月28日の決選投票を前に、順番待ちの行列は以前より短くなったが、訪れる人は絶えなかった。
列に並ぶ女性の1人に、見に来た理由を尋ねた。彼女の子供2人は不況が続くトルコで生活が成り立たず、どちらも移住先のアメリカでタクシー運転手をしているが、いつかは帰国してほしいという。
「ここには何でもある。いい病院も、いい道路も、この船も」。彼女は携帯電話画面をスクロールして、戦車やヘリ、ドローンの画像を見せた。トルコの武器輸出額は昨年、44億ドル相当を記録。今年はさらなる増額を目指す構えだ。
軍艦に関しては、トルコの進歩は大きい。第1次大戦前、当時のオスマン帝国はイギリスの造船所に戦艦2艇の建造を依頼。開戦直後の1914年8月、受け取りのため、オスマン帝国海軍兵士500人がニューカッスルへ赴いた。
どちらも見事な出来だった。そのためか、戦艦はいずれも英政府に接収され、この「裏切り」に怒ったオスマン帝国は同年11月、イギリスの敵のドイツ側について参戦した。
ほぼ10年後の1923年、滅亡したオスマン帝国に代わり、ムスタファ・ケマル・アタチュルク率いる共和国として近代トルコが誕生。
今年、建国100周年を迎えたトルコでは、アタチュルクが推進した世俗主義は廃れた。だが国父が掲げたもう1つの思想、ナショナリズムは健在だ。
「トルコはもう、イギリスにもアメリカにも頭を下げたりしない」
そう話すのは、トゥーチェ・ヤウズ(40)だ。11歳の双子の息子を連れて、アナドルを見学した彼は「素晴らしかった」と感想を語る。
「息子たちのために願うのは強く、独立した国家。安全に暮らせる場所だ」