カトリックが避妊をついに容認? 改革に踏み切れば13世紀以来の見直し
RETHINKING BIRTH CONTROL
フランシスコ教皇の下で避妊問題への姿勢は変わるのか REMO CASILLIーREUTERS
<1960年代には経口避妊薬の服用や、女性の「安全日」の性交渉については、教会内で既に容認されていたが、教皇の相次ぐ死によって議論が立ち消えになった経緯がある。今度こそ中世以来の変更か?>
ローマ・カトリック教会は、避妊を禁じる教義を見直そうとしているのか。カトリック系の著名な保守派論者の間には、その可能性を牽制する動きが見られる。そのこと自体、フランシスコ教皇の下で変化への動きがあることの表れだ。
13世紀のトマス・アクィナス以降、神学者たちは避妊は過ちだと主張してきた。しかし1960年になって経口避妊薬が認可され、やがて多くのカトリック教徒が避妊をしている実態が明らかになると、教会内で教義の見直しを求める声が上がった。
これを受けて教皇ヨハネ23世は避妊に関する教皇委員会を立ち上げたが、報告を受ける前の63年に死去。委員会が後任の教皇パウロ6世に提出した報告書は、いわゆる女性の「安全日」に夫婦が性交渉を行うことは教会内で既に容認されていると指摘。
「自然から授かったものを人為的にコントロールするのは自然」だとして、避妊が「責任を持って子を成す秩序ある関係」の範囲内で行われるなら許容されると結論付けた。これに反対する少数意見を支持したのは、72人の委員のうち4人にとどまった。
だが報告書の提出からわずか2年後の68年、パウロ6世が回勅「フマネ・ビテ(人間の生命)」を発表し、「性交渉の前、行為中、後において明確に避妊を目的とする行為」は「産児調節の正当な手段として絶対に容認できない」とした。これは大半の信者が驚きとともに受け止めた。
「フマネ・ビテ」の趣旨が保たれたのは、教皇たちの相次ぐ不慮の死のためだった。改革派のヨハネ23世がもっと長く生きていたら、教皇委員会の多数意見を受け入れたかもしれない。パウロ6世の後継となったヨハネ・パウロ1世が在位わずか33日で急逝しなければ、避妊厳禁の教義は改められていたかもしれない。彼は司教時代に、避妊についてリベラルな考えを示していた。
信者の9割以上が賛成する国々
「フマネ・ビテ」が生き残ったのは巡り合わせでしかないのに、カトリック系保守派論者は避妊の問題はこの文書によって決着がついたと考えている。だが昨年、教皇庁生命アカデミーが「生命の神学的倫理」を発表し、教義の永続性に疑問を投げかけた。