フィリピンは結局「中国寄り」か反中か──南シナ海・対中攻防史
A RISKY BET FOR THE US
対米依存からの脱却を宣言
とはいえ中国はただ傷をなめて引っ込むような国ではない。
世界の貿易に不可欠なシーレーンをわが物にしようと、この時期から強引な現状変更を加速。岩礁を埋め立てて大規模な建造物を築き、最新鋭の装備を誇る軍事拠点に仕立て始めた。
ちょうどこの頃、当時の米大統領バラク・オバマは「アジア重視政策」を打ち出し、世界各地の駐留米軍の再配備を進め、海軍などの施設や人員をヨーロッパと中東から東アジアに移し始めていた。
フィリピンは長年にわたりアメリカと同盟関係を結んできた。中国が国際法を無視し、フィリピンの国益を踏みにじる暴挙に出れば、アメリカは黙ってはいないはずだ。
ただ、アメリカには厄介な事情があった。アメリカはしばしば国際法や国際社会のルールに基づき中国に物申したり、その行いを制したりする。だがアメリカはUNCLOSを批准していない。米政府はこの条約を守っているし、係争海域をめぐる議論ではこの条約を引き合いに出すが、実のところ締結国ではないのだ。
そうであっても、東アジアに軸足を移したアメリカは、この地域の弱小国の1つであるフィリピンを支援し、南シナ海における資源開発でも同国の主張を支持するとみられていた。
状況が変わったのは2016年6月、ハーグの仲裁裁判所の判決が下りる2週間前、中央政界に縁のなかったロドリゴ・ドゥテルテがフィリピンの大統領に就任した時だ。
1946年まで48年間続いたアメリカの植民地支配に今なお恨みを持つ高齢層の支持を得るため、ドゥテルテは就任早々、外交政策の大転換に着手。オバマを「売春婦の息子」呼ばわりし、「わが国は西側と同盟を組んできたが、これからは独立独歩、独自の道を行く。アメリカ頼みから脱却する」と国民に宣言したのだ。
ドゥテルテは犯罪者の超法規的な処刑を人権問題だと非難する欧米諸国に反発して、中国に接近。南シナ海をめぐる中国との対立は棚上げされた。
雪解けムードを確かなものにするために、中国はアロヨ政権時代の小切手外交に回帰し、貿易と投資の拡大を約束。ドゥテルテもアメリカとの「訪問軍地位協定」の破棄を表明した(後に撤回)。
もっとも、中国との緊張緩和がいつまで続くかは不透明だった。実際、ドゥテルテ政権の後半になると、海洋権益の拡大を狙って領海侵犯や漁船への干渉、深海油田開発への反対を繰り返す中国の姿勢に、フィリピンは再び不快感を示し始めた。