ロシアの「最悪の武器商人」が釈放、人質交換は「危険すぎる悪手」
A Bad Deal
「死の商人」ボウト(バンコク、2010年10月) DAMIR SAGOLJーREUTERS
<女子バスケ選手と交換で釈放されたのは「最悪の武器商人」、アメリカはこの取引が安全保障へ与える障害を考えるべきだった>
ロシアで有罪判決を受けて収監されていた米女子プロバスケットボール選手ブリトニー・グライナーと、武器密輸に関与した罪でアメリカで収監されていたロシアの武器商人ビクトル・ボウトの「人質」交換が成立し、それぞれ12月8日に釈放された。
ロシアには元米海兵隊員のポール・ウィーランもスパイ容疑で有罪判決を受けて収監されており、今夏にジョー・バイデン米大統領が2人とボウトの交換を持ちかけたと報じられていた。しかし、ボウトがどれほど危険な存在か、彼の釈放がアメリカの国家安全保障にどれほどの損害を与えるのか、アメリカはいま一度考えるべきだった。
私は政府機関で過ごした35年間のうち、最後の4年である2004年から08年まで、麻薬取締局(DEA)で作戦本部長を努め、ボウトの逮捕と投獄につながった作戦を監督した。
ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)の元幹部とみられるボウトは、1990年代からソ連製兵器の売買を始めた。03年には世界有数の武器商人となり、テロ組織や反政府グループ、麻薬カルテル、さらには世界中のならず者政権に武器を大量に供給していた。
米政府によると、ボウトの巨大な国際組織は「戦車やヘリコプター、武器を何トンでも世界のほぼあらゆる地点に運ぶ」ことができた。特にアフリカでは、武装勢力やテロリストが彼の武器で何十万人もの罪のない人々を殺戮し、05年のニコラス・ケイジの映画『ロード・オブ・ウォー』のモデルにもなった。ボウトがタリバンに売った武器は、アフガニスタンで米軍とNATO軍の攻撃に使われた。
アメリカと戦い続けた男
当然ながら、ボウトは米政府の重要な標的になった。05年に財務省はボウトに制裁を科し、米国内の巨額の金融資産を凍結した。06年に米政権はDEAに対して、新しく制定された麻薬テロ対策の法律を用いて、それまで手を出せなかった他の著名な犯罪者たちと共にボウトに法的措置を取るよう指示した。
そして08年、タイ警察はDEAと協力してバンコクでボウトを逮捕した。コロンビア革命軍(FARC)のメンバーを装ったDEAの工作員と会ったところで身柄を拘束したのだ。アメリカからテロ組織に認定されている反政府ゲリラのFARCは世界最大のコカイン生産者でもあり、以前よりボウトから武器を購入していたと考えられている。