貧困に生まれ「いじめ」に苦しんだ私を外の世界に連れ出してくれた作文【エモを消費する危うさ:前編】
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<学校にも家にも居場所がなかった、貧困家庭出身の中学生。自分を取り戻すきっかけは、学校の作文だった。いま、話題の論客が言葉の力について思うこととは?>
アマゾンで買った「中古1円」の参考書で独学し、苦学の末に大学へ進学。社会に出てからは奨学金を返済しながら発信を続けている20代の論客がいる。初の著書『死にそうだけど生きてます』(CCCメディアハウス)で脚光を浴びる、ライターのヒオカ氏だ。
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制服が買えなかったこと。習い事や塾に通えなかったこと。大学でレポートを書くためのパソコンが買えなかったこと......。そうした経験から「あなたのすぐそばにいるかもしれない誰かの痛みに目を向けよう、みんなで社会を生きやすくしよう」と前向きに呼びかけている。
居場所がなかった中学時代。言葉で思考を整理し、表現することで救われたというヒオカ氏が、SNS全盛のいま、言葉について思うこととは? 『死にそうだけど生きてます』より抜粋する。
相談室で書いた課題作文
やわらかい場所に行きたかった。嘲りと侮蔑のまなざしを向けられない、心休まる世界に。憎悪や敵意のない、あたたかい場所に。
運動や行事、教室での他愛もないおしゃべり。そんな青春を全部あきらめて、生き延びることだけに主軸を置いた中学校生活は、生ぬるい日々の繰り返しで終わる。そう思っていた。
そんな中学3年生のある日、作文の課題が出た。県下全生徒が書くというもので、相談室の生徒も絶対に提出するようにとのことだった(編集部注:相談室は学校代わりに通っていた場所)。
どうせ先生くらいしか読まないだろう。そう思って、いじめられてから不登校になるまでの過程や、フリースクールでの日々、相談室生活を支えてくれた友人との交流を赤裸々に書いた。
しばらく経った頃、担任がやって来た。「あなたの作文、選ばれたから。県大会、出るよ」
一瞬何を言われているのかわからなかった。私は弁論の県大会に出場する代表に選ばれたのだ。近々開催される大会に備えて練習するように、とのことだった。
弁論大会が開催される市は毎年替わる。その年は私の中学校がある市の隣の市が会場だった。この地区での開催なら、同じ学校の生徒も聞きにくる。でも、隣の市の開催なので、知り合いは一人も来ない。だったら、出てみよう。なぜかそう思えた。
文章を書くのが好き、とはその頃は特に意識したことはなかった。いちど、教科書に出てくる詩を模して、自分を何かにたとえて心情を表現するという課題が出たことがあった。私は自分を空にたとえた。
『死にそうだけど生きてます』
ヒオカ 著
CCCメディアハウス
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