なぜ統一教会は今も「大きな影響力」を持っているように見えるのか【石戸諭ルポ前編】
JUDGMENT DAY
最大の謎は、今はこの程度の集団が「大きな影響力」を持っているかのように見えることである。暫定的な解は、統一教会の歴代幹部たちは、歴史的な経緯を踏まえて自分たちを大きく見せる方法を知っていたというものだ。
彼らは政治とのつながりを完全に隠そうとせず、におわせていた。「におわせ」を否定しないことは、むしろ自らの力を大きく見せたい教団側のストーリーに乗ることを意味する。
政治家とのつながり問題ばかりを大きくクローズアップするだけでなく、今でも残り続けている問題を、現実を踏まえて解決しなければカルトの罠にはまってしまう。それは一体何か。歴史を振り返っていこう。
旧統一教会は、韓国人の文鮮明(ムン・ソンミョン)が創設したキリスト教系の新興宗教である。文は1920年、日本統治下の現在の北朝鮮に生まれた。
彼らは共産主義をサタンの最終思想と位置付ける。それに勝利し「統一」することも教義であった。「勝利」のために統一教会がこだわったのは、為政者とつながる道とカネだ。
ポイントとなるのは1968年の日本での創設以降、統一教会の政治部門を事実上担った国際勝共連合だ。反共を一致点に、文が安倍の祖父である岸信介ら保守系政治家と結託していたことは周知の事実だが、ここでは別のキーパーソンに注目してみたい。
その名を梶栗玄太郎という。現在、複数の教団関連組織のトップを担う梶栗正義の父で、晩年に統一教会会長職を務めた。
共産党相手のデモや演説で名を上げた運動家気質の信者だった梶栗は、合同結婚を果たした妻方の人脈をフルに活用する。彼の義父、熱海景二は旧制一高、東京大学の卒業生で、友人に福田赳夫元首相ら政財界の重鎮がいた。彼らの子供同士も昵懇(じっこん)で、梶栗の妻恵季子はのちの首相である福田康夫を若い時分から知っていた。
統一教会は「500分の1」
梶栗は、義父の紹介で1970年から福田赳夫と関係を築く。典型的なロビイストであった彼の「成果」が、蔵相時の福田も出席した1974年の文の来日講演会だ。福田が「アジアに偉大な指導者現わる。その名は文鮮明」とスピーチした会合である。
首相就任後も付き合いは続き、当時の教団トップ久保木修巳と共に元旦から会い、運動を語り合っていたという。
梶栗自身も認めているが、統一教会が社会問題化した1980年代は、同時に勝共連合や関連団体にとってのピークでもあった。教団本体以外の多数の関連団体へと政治家や著名人の賛同を集めて権威と信用を調達し、信者からは団体運営の金を集めた。
文が構想し、彼らが最も実現にこだわる日本と韓国を海底トンネルで結ぶ日韓トンネル構想なども金集めの名目になった。アカデミズムの世界にも接近し、青函トンネルの調査に携わった北海道大学の佐々保雄や京都大学の数学者らが賛同者に名を連ねた。