「ゴルバチョフって奴は分かりにくい男だよ」──「敗軍の将」の遺産とは?
Gorbachev's Disputed Legacy
歴史の審判を受け入れる
冷戦終結のパートナーであるロナルド・レーガン米大統領はゴルバチョフの真摯な姿勢に打たれ、後に友人となった。後任のジョージ・ブッシュは当初は不信感を抱いていたが、その後は米ソの交渉を進め、ソ連軍を中欧から撤退させた。
ゴルバチョフは「統合された自由なヨーロッパ」の理念に賛同し、ソ連を含む「欧州共通の家(共同体)」の建設さえ提案した。ベルリンの壁が崩壊し、ソ連圏が雪解けのように消えていくことを、歴史の審判として受け入れた。
そのとき彼はソ連と世界の新しい道を切り開き、同時に歴史は彼と彼のレトリックを置き去りにした。ソ連の終焉を告げる鐘が鳴り響いていた。
ドイツはNATOの枠組みの中で統一を目指して一気に動きだし、ゴルバチョフは苦境に立たされた。そんなときにジェームズ・ベーカー米国務長官(当時)が、「NATOは1インチたりとも東に拡大しない」と口約束をした。ゴルバチョフは書面などで確約を取ることはせず、この「約束」は後年、ロシアとNATOの間で大きな論争を巻き起こすことになる。
90年秋、ゴルバチョフは東西冷戦を終結させた功績などを評価されてノーベル平和賞を受賞した。
彼はソ連の経済および政治体制を大幅に自由化したが、多くの市民と同じように、資本主義市場に対する恐怖心や、失業も民間企業も知らない低所得者層に資本主義市場がもたらすものに対する不安も抱えていた。
結局のところ、ゴルバチョフの改革は発展し得る市場経済を創出することなく、古い体制を不安定にした。ただでさえ悲惨だったソ連の生活水準は、さらに低下した。
こうした状況を、本人は一時的な困難だと軽視した。しかし、最後には、ゴルバチョフの権威は経済不況の餌食になった。頭角を現した政治局の異端児ボリス・エリツィンは「ペレストロイカの失敗」からの脱却を掲げ、分権化されたソビエト連邦の中でロシアの完全な主権を主張した。