盲目のスーダン人が見た日本の「自由」と「課題」
BEYOND THE BRAILLE BLOCKS
来日24年、現在はスーダン出身の妻と日本で家庭を築き、3人の子を育てているモハメド・オマル・アブディン氏 YUSUKE MORITA-NEWSWEEK JAPAN
<デジタル化の遅れなどの障壁はあるが、点字ブロックや手すりといった障害者向けインフラは世界屈指のレベル。日本には「外出しやすい環境」が整っている>
私が「目の見えないスーダン人」として日本にやって来たのは19歳の時。生まれつき弱視だった私は12歳で視力を失ったが、スーダンでは普通学校に通っていた。国内に盲学校が1校しかなかったから。そのため点字を読む訓練を受けたことはなく、勉強は友人に教科書を読み上げてもらい、耳で覚えていた。
だから、来日して福井県の盲学校で日本語と点字を覚え、初めて他人に頼らずに本を読めたときの感動は今でも忘れられない。私は日本に来て「学ぶ自由」を得られた。
「日本では視覚障害者に対する学習支援がスーダンよりも進んでいるに違いない」――スーダンで国際視覚障害者援護協会の招聘プログラムについて知り、日本行きを決断したときの勘は正しかったというわけだ。
それから24年。今ではスーダン出身の妻と日本で家庭を築き、3人の子供を育てている。
アメリカやイギリス、トルコ、スペインなど、これまでにさまざまな国を訪れた。視覚障害者の支援に関して、日本のハード面の進展は世界でも群を抜いていると思う。
具体的には、電車やバスなどの公共交通機関が発達しており、街中や駅、商業施設などの至る所に手すりや点字ブロックが整備されていること。青になったことを知らせてくれる音の鳴る信号機まである。視覚障害者が一人でも外出できる環境が整っているのだ。
これらの設備がないスーダンでは視覚障害者の外出に危険が伴うので「それなら家の中にいさせたほうがよい」と考える人が多い。
ただし、そんな日本のインフラにも都市と地方では交通機関の利便性に差があるし、後述する「ハード面以外」の課題もあるのだが......。
「学ぶ自由」を得た私は、盲学校を卒業した後、短大でコンピューターと音声読み上げソフトの使用法を学び、さらに世界を広げた。
それまで視覚障害者にとって最も大きな障壁は情報へのアクセスだった。それが音声読み上げソフトの登場により、点字に直された本だけでなく、インターネット上の情報をいち早く読めるようになったことは大きい。
その後は、興味があった法律や政治を学ぶため東京外国語大学へ。36歳の時に博士号を取得し、その後6年間ほど、同大学や学習院大学でアフリカ地域研究を中心に教壇に立った。
現在は目に特化した専門企業である参天製薬に勤め、インクルージョン(包摂)戦略に取り組む一方、研究も続けている。学生時代に立ち上げたNPO法人「スーダン障害者教育支援の会」の代表理事として、スーダンの子供たちに点字やパソコンでの学習支援も行っている。