ベルギー名産品チョコレートと植民地支配──現国王の謝罪、今後の役割とは?
RESTITUTION FOR THE CONGO
今日においてもベルギー国内にはこうした歴史を否定するか、自分たちの国はコンゴに道路や学校や病院を建てたと主張して過去の罪を軽く見せようとする人々がいる。これはもっともらしい主張のようだが、重大な見落としがある。数少ないインフラ建設はベルギー政府の投資ではなく、コンゴ人の強制労働で実施されたこと。さらにベルギー統治下では、ほぼ全てのコンゴ人にとって中等教育ですら高根の花だったことだ。
先頃ベルギーを訪ねた折、私は首都ブリュッセル郊外でコンゴ系ベルギー人の歴史家、マチュー・ザナ・エタンバラとディナーを共にした。彼は私が1990年代に特派員としてコンゴに駐在していた時に初めて知った事実を改めて思い出させてくれた。ベルギーが初めてコンゴの包括的な発展計画を立てたのは、独立のほんの10年ほど前の1949年だったことを。
奪われた文化財の返還はいつ
この歴史は現代にも影を落としている。かつてのベルギー領コンゴ、現在のコンゴ民主共和国は世界で最も貧しく、最も政府が脆弱な国の1つだ。私はアフリカでも特に大きな国々の一部に深刻な貧困や政治不安や紛争が集中している問題を「アフリカの大国危機」と呼んでいるが、ナイジェリアやエチオピア、スーダンと並んでコンゴもそうした大国の1つだ。
これらの国々の1つでもいいから経済的・政治的基盤を強化できれば、その周辺の広大な地域の今後の見通しは劇的に明るくなり、ひいてはアフリカ大陸全体の未来を後押しすることにもつながるだろう。
この問題はベルギーのフィリップ国王(レオポルド2世の甥のひ孫に当たる)が今月、王妃と首相を伴ってコンゴを訪問したことで、改めて報道などで取り上げられるようになった。
ベルギーは近年、コンゴの悲劇に自国が果たした役割についてある程度認めるようになってきてはいる。だが遺憾の意を示しはしても、表現は紋切り型だし内容も曖昧だ。ベルギーがコンゴにおける過去の帝国主義的行動の真実を全て認め、さらには十分な償いをしていると言える状況には到底なっていない。
ベルギーを訪ねた際に私は、ブリュッセル郊外にある王立中央アフリカ博物館を見学した。もともとはベルギーによる植民地支配をたたえる(そしてアフリカ人をおとしめる)ことを目的としており、「人間動物園」が開設されていた時期もある。コンゴの村を再現してそこに永続的にコンゴ人を閉じ込め、見学者向けに「展示」していたのだ。