沖縄の少女たちの経験は日本の若い女性に起きているさまざまなことの濃縮版
LIVING WITH DESPAIR
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<絶望は簡単には癒やされない。なくならない米軍基地を前に正気でいられるのは、少女たちを調査し支援するという自分なりの実践があるから>
沖縄復帰50年目の朝は早起き。
なにが変わったのだろう、いや、なにもかわらないと、軍事を強化させられたこの50年のことをじっとり考えます。
「おにわ」で自分たちができることを重ねることができるから正気でいられるのですが、それもやっぱりぎりぎりだなぁと思います。
朝から暗い気持ちで、おにわに出勤しました。
――「お庭日記」2022年5月15日
復帰50年に当たり、一番考えたことはやっぱり「基地がなくならない」ってことです。記念式典でも基地の縮小、返還に向けて進めていくみたいな話をしていたけど、要らないところをちょっぴり返しているのをすごく大げさに言っている。
政治家たちがスローガン的な言葉を言えば、それを新聞が書き、内実が伴わない言葉ばかりがあふれている。米軍基地が汚染源とみられる水道水や河川の汚染が問題になっても、立ち入り調査もできない。そんなことが強烈に、ずっと起きている。
『海をあげる』で基地や辺野古のことを書きました。「沖縄の声が人々に届いたと思うか」と聞かれれば、読者からの反応の一つ一つが私を喜ばせたり傷つけたりはしない。そういうもので癒やされるような絶望感ではない。
正気でいられるのは、私には具体的な実践があるからです。調査をしたり本を書いたり、共同代表を務める「おにわ」(若年出産シングルマザーの保護施設)でもやることがいっぱいある。調査をした女の子たちは今みんな落ち着いていて、5年たつと人は変わるんだなあという感覚もある。つらいことがあっても、彼女たちは何とか生きていく。だから私もまだ人を信じられるんです。
1990年代後半からの東京での大学院時代、女子高生の調査をしました。社会学者の宮台真司さんが「援助交際という性的売買をしても傷つかない子たちが出てきた」という議論をし始めた頃です。
でも私は、本当かな、そんなに性規範って軽やかかな、と思っていた。23区内の女子高に3年間調査で入ったのですが、彼女たちの話を聞いて「性規範から自由な女の子たち」なんて嘘だと思った。援助交際でオヤジたちからどれくらいお金を取ったかという話を教室でパフォーマンスのようにしながら、実際にはじっとり傷ついてたりする。相対的に彼女たちは、声を聞かれていないんです。
女の子たちの現実を書く
沖縄の少女たちの経験は、日本の若い女性に起きているさまざまなことの濃縮版だと思う。環境の厳しい地域ほど、下の階層にいる人や若い人の状況はきつくなる。東京の女子高生の問題が沖縄では中学生に表れる。結局、早く大人になるんです。