上海ロックダウンで「飢える」市民の叫び...なぜ、こんなに「無計画」だった?
Desperate in Shanghai
1月に上海市内で数人の新規感染者が確認され、うち3人がタピオカ店の従業員だと判明すると、市当局はその店だけを封鎖した。その数週間前に西安が大規模なロックダウンに踏み切るなど、中国各地の極端な反応とは対照的だった。ネットでは、このタピオカ店は中国で最も小さな「パンデミック危険地域」だと冗談が飛んだ。
上海の新型コロナ対策チームの一員で感染症専門医の張文宏(チェン・ウエンホン)は、21年7月にソーシャルメディアで「ウイルスとの共存」に言及した。張は今年3月14日にも経済誌の財新に寄稿し、ウイルスの致死性は大幅に弱まっており、これまでのように恐れなくてもよくなるだろうと主張。ゼロトレランス政策は重要だが、「今後もロックダウンと大量検査を長期的に続けるとは限らない」と述べた。
とはいえ、上海のソフトパワー戦略だけでは、オミクロン株の感染拡大のスピードと規模に対応できなかったことも事実だ。
全域封鎖はないはずだったのに
上海では3月上旬から一部でコミュニティー単位のロックダウンが始まった。一方、上海警察は3月22日に、市内全域がロックダウンされるだろうとネットで言及した人々を「風説の流布」と非難。捜査が始まったと言われている。多くの上海市民が全面的なロックダウンはないと信じ、食料や物資を買いだめする機会を逸した。
しかし、4月1日には市内のほぼ全域が封鎖された。中国のロックダウンは厳格で徹底しており、若干緩和されたとはいえ、ほとんどの人が自宅や居住している建物から出ることができずにいる。
多くの市民は、封鎖が始まったときに手元にあった食料だけで閉じ込められている。人口過密な巨大都市という住環境も、食料の備蓄を難しくしている。
「食べ物を買いだめするのは気が進まなかった」と、27歳のパン(本人の希望で姓のみ)は言う。普段から家ではほとんど料理をしない。住んでいるアパートはかなり狭く、中国で一般的に見られるように、冷凍庫のない小型冷蔵庫と調理用の電気コンロが1口しかない。
パンデミックの初期にロックダウンが行われたときは政府から食料の配達があり、今回もそうだろうと信じていた。友人たちにいろいろ聞いて、卵、ヨーグルト、インスタントラーメン、ポテトチップス2袋を購入したが、それで8日間、食いつなぐ羽目に。4月7日にボランティアの人が何軒も店を回って、いくらか野菜を見つけてくれた。