ジュニア卒業に4年、世界王者まで7年 早熟の天才・宇野昌磨が「チャンピオンへの階段」を登った日
世界屈指の難易度のプログラムをほぼ完璧に滑り切り、世界選手権で優勝を果たした宇野選手(3月26日、仏モンペリエ) Juan Medina-REUTERS
<2大会連続での五輪メダル獲得など輝かしい実績を積み上げる宇野選手だが、そのキャリアには苦労も多い。「天才スケーター」として名を馳せた小学生時代から頂点に至るまでの道のり、世界選手権を制した3つの要因を紹介する>
北京五輪、世界選手権と日本選手が大活躍した今シーズンのフィギュアスケートは、現在エストニアのタリンで行われている世界ジュニア選手権(17日まで)を最後に閉幕する。
7年前の2015年に同じ場所で行われた世界ジュニア選手権で、高橋大輔、織田信成、小塚崇彦、羽生結弦に続く日本男子5人目のジュニア王者となったのが、今年の世界選手権を制した宇野昌磨だ。
宇野は小学生の頃から「天才スケーター」として名を轟かせていた。平昌五輪(銀)、北京五輪(銅)と二大会連続のオリンピックメダリストで、世界選手権では今年の金以外にも2度の銀、四大陸選手権で金を獲得している宇野のキャリアは輝かしい。だが、ジュニア王者になるまでに4年、世界王者になるまでには7年の月日が必要だった。その道のりは、決して順風満帆なばかりではなかった。
宇野が今年、世界王者になれた勝因は、①コーチとの二人三脚、②靴への信頼、③リンクメイトの存在と考えられる。個々の事情を解説する前に、まずは念願の世界王者の座を掴むまでの足跡を振り返ってみよう。
思いのほかトリプルアクセルに苦戦
ノービス時代(スケート年齢[※]で9歳以上12歳以下)の宇野は、男子では小塚崇彦以来2人目となる全日本ノービス選手権4連覇を果たした。試合での強さもさることながら、「フィギュア王国・愛知」で育ちアイスショーやシニア試合のエキシビションに数多く出演していたため、フットワークのよい踊り心あふれる演技を披露する機会が多く、早くからファンに注目されていた。
※スケートシーズンは7月1日に始まり、翌年6月30日に終わる。クラスを規定する年齢は、シーズン開始直前の6月30日時点の満年齢が対象となる。
2010年のバンクーバー五輪前の特集番組では、12歳の宇野が「次のオリンピックメダル候補」として紹介された。伊藤みどりや浅田真央も指導したコーチの山田満知子は「このまま順調に伸びていけば、それ(14年のソチ五輪出場)が見えてくるんじゃないでしょうか」とテレビカメラの前で語った。
中学生になってジュニアクラスに上がると、これまで順調だった宇野の成長の前に壁が現れた。山田コーチとともに指導する樋口美穂子コーチが振り付けるプログラムは、宇野の表現力や踊りの上手さに磨きをかけた。だが、世界ジュニア選手権には日本代表として毎年出場していたものの、ジャンプの習得に苦心することになるのだ。
当時は、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を習得して世界ジュニア選手権で好成績を修めてジュニアクラスを卒業するというのが、男子の有力選手の王道だった。宇野は試合でトリプルアクセルを成功させることが、なかなかできなかった。
とはいえ、練習量が人一倍多い宇野は、一度身につけたジャンプは試合でほぼ失敗せずに飛べるようになるのが強みだ。飛距離が長く余裕のあるダブルアクセルを飛んでいたこともあり「トリプルアクセルの習得には、さほど時間はかからないだろう」と、関係者やファンは楽観視していた。