多くの冒険家が「43歳」に命を落とすのはなぜ? 経験の豊かさと肉体の衰えが交差するとき
ところが、その一方で肉体は衰えはじめ、生命体としてのパワーが下降線をたどり、全体的に勢いがなくなり、この過去最高の表現を実現するだけの時間はもうあまりのこされていないとの自覚もめばえる。
その結果どうなるか。当然つぎのような発想になる。
今は身体がまだ動くので、なんとかなりそうだ。なら、身体が動くのこり少ないわずかな時間をつかって、この固有度の高い思いつきを実行しなければならない。なにしろ思いついてしまったのだ。思いついてそれをやらなければ、私の人生はそれを思いついたのにやらなかった人生に頽落(たいらく)し、布団のうえで死ぬときにかならず、嗚呼(ああ)オレはあれをやらなかった......と後悔することになる。
過酷な旅への原動力
でも、やれば人生を肯定できる。その機会を逃したくない。だったら今のうちにやるしかない。今やらないと、もう身体が動かなくなり、この思いついた固有の行為を実行するチャンスを永久に逃してしまうかもしれない。もし今年、まったりと家ですごしてワンシーズンを無駄にしたら、そのつぎのシーズンはもっと気力が衰えているだろうから、そのぶん、その自分由来の行為をものにできる可能性は低くなる。今やるしかないのだ――。
四十三歳で多くの冒険家が死亡するのは、たぶん、体力が経験に追いつかなくなることより、むしろのこされた時間が少ないと感じて行動に無理が出るからだ。
南極大陸犬橇横断を最終目標としていた植村直己が、やらなくてもいいように思える冬のデナリにあえてむかったのは、なんでもいいから身体を動かしておかないと、南極が、すなわち彼固有の、彼にしか思いつけない最高の行為が遠のくという焦りがあったからだ。北極点から愛媛の自宅に帰るという旅に出発した河野兵市にも、おなじような焦燥があっただろう。
すくなくとも、二〇一八年三月に私をシオラパルクにむかわせた原動力として、この年齢の焦りは確実に作用していた。私がやりたかったのは、北極で狩りをしながら長期に漂泊することだ。それは今年やらなければ、もう永久にできないことだと思われた。
角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
ノンフィクション作家、探検家
1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。同大探検部OB。2003年に朝日新聞社に入社。08年に退社。謎の峡谷・チベットのヤル・ツアンポーの未踏破地域の探検を描いた『空白の五マイル』は開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。ネパール雪男捜索隊の体験記『雪男は向こうからやって来た』は新田次郎文学賞を受賞。16~17年、太陽が昇らない冬の北極圏を80日間にわたり探検し、18年『極夜行』(文春文庫)で第1回Yahoo! ニュース 本屋大賞ノンフィクション本大賞、第45回大佛次郎賞。他著書、受賞多数。19年から犬橇での旅を開始、毎年グリーンランド北部で2カ月近くの長期狩猟漂泊行を継続している。近著に『狩りの思考法』(アサヒ・エコ・ブックス)、『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』(集英社)などがある。