子供たちが狙い撃たれ、遺体は集団墓地に積みあがる...孤立都市マリウポリの惨状
Barbarity Laid Bare
人道回廊を設置する試みはこれまで何度も失敗に終わり、周囲の道路は地雷や不発弾だらけだ。市当局によれば、これまでに2500人以上が死亡したというが、爆撃が続いているため正確な死者数は把握できていない。危険すぎて葬儀など不可能だ。
医師たちの話では、治療中の負傷者の割合はウクライナ軍兵士1人に対し民間人10人だと、現在、国際メディアで唯一マリウポリに記者が残るAP通信が報じている。
「作業員は大急ぎで遺体を投げ込んでいる。視界が開けた場所に長くとどまれば、死ぬ確率が高まるからだ」
AP通信の記者は、マリウポリの凍った地面に掘られた狭い溝のそばで見た光景をそう伝えている。「どんどん遺体が運ばれてくるだろう。あちこちに遺体が散らばる通りから、誰かが引き取りに来るのを待って大人や子供が遺体を見守っている病院の地下室から。一番幼い遺体にはまだへその緒が付いている」
イリーナの家族は何とかマリウポリを脱出できたとはいえ、これからのことは不安だらけだ。言うまでもなく、想像を絶する苦難をくぐり抜けてきた彼らは深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)のリスクも抱えている。
なすすべなくニュースを見つめる
さらに、退避できた人が1人いれば、その背後には市内に足止めされている人がおそらく何十万人といるだろう。市外にいるその人たちの身内は、ロシア軍がマリウポリにさらに残虐な無差別攻撃を加えるニュース映像を、なすすべもなく見つめるばかりだ。
3月9日にロシア軍がマリウポリの産科病院を爆撃したとき、ドイツ在住のアーティスト、ビクトリア・ポポワが顔色を失ったのは理不尽な破壊行為にショックを受けたからだけではない。彼女の両親は今もこの街で暮らす。ロシア軍の包囲が始まってからは、なかなか連絡が取れない日々が続いていた。
「両親の家は産科病院のすぐそば、通りの向かいにある」と、27歳のポポワは言う。「ニュース写真に目を疑った。ショックが収まると、せきを切ったように涙があふれた」
その前日母親とやっと電話がつながったが、2分ほどで切れてしまった。病院爆撃後はいくら電話をかけてもつながらず、身を切り刻まれるような不安にさいなまれている。
「両親の声を聞いて生存を確認できることがどんなにありがたいか、今やっと分かった」と彼女は声を詰まらせる。