子供たちが狙い撃たれ、遺体は集団墓地に積みあがる...孤立都市マリウポリの惨状
Barbarity Laid Bare
炎上するマリウポリの住居ビル(3月14日) AZOV REGIMENT PRESS SERVICEーREUTERS
<家も病院も破壊され援助物資も届かない。行くも残るも死と隣り合わせの日々。孤立状態のウクライナの都市マリウポリ、現地の人々の叫びを聞け>
3月15日、ウクライナ南東部の港湾都市マリウポリをロシア軍が爆撃。爆音が次第に迫ってくるなか、コンスタンティンは苦渋の選択を迫られていた。ロシア軍に包囲された街から既に何万もの人々が避難を始めており、コンスタンティンも車に家族や親戚を乗せられるだけ乗せて、街を脱出しようとしていた。ところが妻のアリオナが乗ろうとしない。
「全員が乗るのは無理だった」と彼らの娘で27歳のイリーナは語る。「爆発はすぐ近くで起きていた。父はみんなに伏せろと言った。父は車に乗ろうとしない母に腹を立てたけど、母は友人を置いてはいけないと言い張った」(安全上の理由から本人の希望で全て仮名)
結局、母親は友人とその娘と共にシェルターに避難し、父親はまず家族を避難させてから、3人を迎えに包囲された街に戻ることになった。いちかばちかの賭けだ。
シェルターで待つこと数時間、爆撃は依然続いていた。こうした無差別攻撃がどんな被害をもたらすか、アリオナの友人は数日前の爆撃で負傷して思い知らされていた。ようやくコンスタンティンが現れ、日産の小型車に3人を乗せて出発。数時間後、マリウポリから離れた小さな町で、全員が無事再会を果たした。
それでも安全には程遠い。燃料は不足。多くのガソリンスタンドが閉鎖し、売っている人を見掛けたがとんでもなく高額だった(日本円に換算すると1リットル=約1000円)。
この日、ロシア軍の侵攻以来最多と思われる約2万人がマリウポリを脱出した。ウクライナ当局によれば、4000台の車が同市を後にし、うち570台がその日のうちに南東部の都市ザポリージャに到着。残りは途中の町で一夜を過ごしたという。
「子供たち」と書かれた建物を爆撃
決死の脱出は、住宅街への容赦ない爆撃が数週間続き、赤十字国際委員会(ICRC)のいう「大惨事」に陥った末のことだった。急ごしらえの集団墓地にはロシア軍の爆撃で死んだ子供たちの遺体が積まれ、住宅や産科病院は空爆と砲弾で破壊された。ロシア軍が人道支援を阻止しているため、食料も水も医薬品も底を突きかけている。街に残った人々は雪を溶かして飲み、凍える寒さの中で家具を燃やして暖を取っている。
16日には市中心部の劇場が爆撃された。劇場には市民数百人以上が避難していたとされ、爆撃前の衛星写真を見ると、建物前後の地面にロシア語で「子供たち」と書かれているのが分かる。標的にするなとロシア軍に伝えるためだろう。死傷者の数は不明だ。