オスカーはキャンペーンがすべて、を覆して候補入りした『ドライブ・マイ・カー』の凄さ
これらの試写の後には濱口竜介監督のQ&Aやレセプションも組まれていて、それは明らかにキャンペーン活動だった。しかし、ほかの候補作なら、同じことを何倍もの数こなしている。そして、あいかわらず、広告は見ない。何かの賞を受賞すれば「祝!○△賞受賞」と誇らしげな広告を出し、これからオスカーノミネーションの投票をしようとしているアカデミー会員の注意を引こうとするものだが、それもない。
すでに大きなものを業界にもたらした
今回作品部門に候補入りした10作品の中で、ここまでキャンペーンに頼らなかったのは、実に『ドライブ・マイ・カー』だけだ。もちろん、ほかの9作には、ディズニー、ワーナー、Netflix、アップルなど超大手がついているから、たとえ『ドライブ・マイ・カー』が頑張って小さな広告を出したところで、かなわかったとは思う。
国際長編部門を見ても、候補に入った『The Hand of God』はNetflixがあちこちに大々的に、『Flee』と『The Worst Person in the World』は北米配給のネオンがバナー広告などを出した。残り2本の候補作はほとんど何もしていない『ドライブ・マイ・カー』と『ブータン 山の教室』だ。一方、ペドロ・アルモドバルの『Parallel Mothers』(北米公開/ソニー・ピクチャーズ・クラシックス)や、アスガー・ファルハディの『英雄の証明』(北米公開/Amazon)は、監督が有名で、実績のある配給会社がそれなりに頑張って宣伝したのにもかかわらず、候補入りを逃した。
そう思うと、希望が湧いてくるというもの。今や獄中の人となった元大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタインのせいもあり、オスカーはキャンペーンがすべてと信じられるようになってずいぶん久しい。しかし、投票者はしっかり見ているのだ。過去にも例はある。たとえば2016年のオスカーでは、シルベスタ・スタローン(『クリード チャンプを継ぐ男』)が助演男優部門で絶対視されていたのに、結局受賞したのは、ほかの仕事に集中してキャンペーン活動をやらなかったマーク・ライランス(『ブリッジ・オブ・スパイ』)だった。
とあれば、予算ではほかの9作品の足元にも及ばない『ドライブ・マイ・カー』にとって、最高のキャンペーンは、やはり作品を見てもらうこと。あとは、オスカー前に発表される、英国アカデミー賞、インディペンデント・スピリット賞、放送映画批評家協会賞などを通り押さえ続けることだろう。その結果、本番で受賞すれば、それは100%作品の力。いや、ここまで来られただけでも、十分そうだ。最後に勝っても、勝たなくても、『ドライブ・マイ・カー』は、大きなものを業界にもたらしてくれたのである。
アメリカのオフィシャル・トレーラー