「東京五輪の失敗を今こそ思い出せ!」 2030札幌五輪を阻止するために今やるべきこと
これに対し、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどは、閣僚、外交官、政府関係者を大会に派遣しない「外交ボイコット」を決め、日本もこれに倣った。しかしながら日本オリンピック委員会会長の山下泰裕氏および東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の橋本聖子氏は派遣するなど、その内実は中途半端な対応でしかない。
背景にアスリートへの配慮があるにせよ、結論として開催そのものに否を突きつけたわけではないからだ。神戸大学大学院の小笠原博毅教授はこの外交ボイコットを「やってもやらなくてもいずれにせよ意味がない」とし、人類学者デヴィッド・グレーバー氏の言葉を借りて「bull-shit」(くそくらえ)だと指摘した。
開催決定後に現れる「どうせやるなら派」という存在
そもそもオリンピック運動の目的とは、国や民族を超えて平和を構築するために働きかけることだ。これに照らせば、人権を軽視する中国にオリンピックを開催する資格がないのは明らかである。なのに開催に至った理由のひとつに、間接的にはステークホルダーとなる諸外国が毅然とした態度でNOと言えない及び腰があったといえる。
そしてもうひとつ、最大にして厄介な理由がある。
それはオリンピックがもたらす祝祭ムードをひそかに期待する人たちの無意識的な欲望だ。オリンピックが抱える種々の問題は理解しているものの、どうせやるならとそれらに目を瞑って開催を前向きに捉える人たちの存在である。
先に紹介した小笠原氏は彼らを「どうせやるなら派」と名づけ、オリンピックムーブメントを推し進める原動力になっていると指摘する。開催に疑問や矛盾を感じながらもその気運に便乗してオリンピックを盛り上げる、この「どうせやるなら派」こそがオリンピックを後押ししているとの指摘は、実に鋭い。
東京五輪以前にも、多くの人たちはオリンピックの構造的な問題には薄々気がついていたはずだ。にもかかわらずそれを解決するための声を上げず、いざ開催されると躍動するアスリートに拍手喝采を送る。どこかうしろめたさを抱えながらも自らがマジョリティーであることに安寧し、本質から目をそらすその態度が、結果としてオリンピックの存続に一役も二役も買っている。
この集合的無意識こそが開催に向けて肯定的なうねりをもたらす。これを根本から断ち切らなければ歯止めはかからないだろう。