最新記事

スポーツ

空手がアラブで200万人に広まったのは、呑んだくれ日本人がシリア警察をボコボコにしたから

2022年1月9日(日)13時00分
小倉孝保(毎日新聞論説委員) *PRESIDENT Onlineからの転載

「よし、俺の腕はしっかりしている」

と岡本は高笑いする。これで気が晴れた。いよいよ帰国である。

来るなら来い。やってやろうじゃないか

岡本が宿舎に引き上げようとすると騒ぎを知った警察官3人が駆け寄ってきた。

「シーニー(中国人)か」と警察官が聞く。

「何だと。俺はヤバーニ(日本人)だ」

誇れることなど何一つしていない岡本が、なぜか胸を張って主張する。酔っているこの男を警官が取り押さえようとしたそのときだった。岡本の回し蹴りがパン、パン、パンと音でも鳴らすように3人のあごに入った。3人はそのまま倒れた。

「うん、貞森君、俺も捨てたもんじゃない」
「岡本さん、これは来ますよ。機動隊が」

岡本はいまさら逃げる気はなかった。強制送還してもらった方がいいと思っている。

「機動隊でも何でも、来るなら来い。やってやろうじゃないか」

岡本はまた下駄を鳴らしながら歌う。「蒙古放浪歌」である。

人と生まれて
情はあれど
母を見捨てて
波こえてゆく

岡本の大きな声をかき消すようにサイレン音が近づいてきた。

「おう、来たな」

岡本がサイレンの鳴る方を見るとトラックだった。

「これは大分、大勢で来たな」

銃を持った機動隊相手に素手で殴る、蹴る

岡本の横でトラックが止まる。荷台からぞろぞろ機動隊員が降りてきた。みんなカラシニコフ銃を抱えている。身体の大きな若者ばかりである。十数人はいるだろう。機動隊員が取り囲むようにして岡本を押さえにきた。

そのときだった。岡本の突き、蹴りが次々と隊員に入る。何人かは完全に倒れている。それでも向こうは多数である。岡本も殴られ、蹴られる。そして、このあたりから岡本の記憶は飛んでいる。気づいたら警察学校の将校宿舎で横になっていた。

翌朝、岡本は大使館からの連絡で目を覚ました。大使がかんかんになって怒っているという。

後からシリア国家警察幹部に聞かされた話では、岡本は機動隊十数人を相手に大立ち回りを演じ、隊員たちを次々と殴る、蹴る、そして、殴られ、捕まりそうになると道路端の木に登って、上から飛び蹴りを食らわした。押さえ込まれるとかみつき、急所に蹴りも入れたという。カラシニコフの銃口を向けられてもひるむことなく暴れ回った。機動隊側としても、単身素手で暴れる日本人相手に多勢の側から銃を使うわけにはいかないと判断している。

日本大使館にとっては大問題

1時間近くの乱闘の末、岡本は身柄を拘束され、いったんは近くの警察署に連行され留置場に入れられそうになりながら、ことを穏便に済まそうと考えた警察学校長の指示で宿舎に戻されたらしい。

日本大使館にとっては失態、大問題である。派遣した指導員が大げんかをした末、現地の警官を負傷させた。警官3人のほか機動隊員数人も病院で手当てを受けたらしい。本来なら逮捕されても仕方なかった。

事情を知った大使は岡本を帰国させることを決めた。シリア政府への謝罪の意を示すためにも、岡本に責任を取らせる必要があった。任期途中の帰国になるが、岡本はもとより覚悟していたことである。ただ、くだんの外交官を殴れなかったことが心残りだった。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

尹大統領の逮捕状発付、韓国地裁 本格捜査へ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 8
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 9
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 10
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中