「すぐ崩壊する」の観測を覆した金正恩の10周年、侮れない実力と「らしさ」
KIM JONG UN’S DECADE
まず、4月には正恩が国の最高意思決定機関である国務委員会の委員長として「国家を代表する」と修正された。かつて祖父が憲法で「国家主権を代表する」国家主席と位置付けられたのに似ている。
この修正によって正恩も正式に国家のトップとなった。それまでは1998年の正日政権での憲法改正により、最高人民会議常任委員長が国家主席格という建前になっていた。
次いで8月の改憲では、正恩が務める国務委員長に外交官任命と罷免の権限が付与された。これは祖父の時代の国家主席の権限をも上回る。
2回にわたる改憲が行われた4~8月の間には、正恩を国家の指導者として称揚するキャンペーンがすさまじい勢いで展開された。党の機関紙には、対米首脳外交も含めて正恩の指導力をたたえる記事が毎日のように掲載された。つまり不自然な連続改憲と同時に、正恩の偉大さを刷り込む国家的な洗脳が行われた。
国務委員会とその委員長を格上げした2度目の改憲は、いかに彼らがハノイでの2度目の米朝首脳会談に期待し、それをいかに利用して権限強化につなげようとしていたかを雄弁に物語る。
制裁解除につながる合意を確信していた
だが会談が頓挫したため、彼らは8月の(2度目の)改憲を正当化する口実づくりが必要になった。あの時期に正恩の指導力をことさら強調するキャンペーンが張られたのは、そのためだ。
振り返れば、18年にシンガポールで開かれた最初の米朝首脳会談は北朝鮮外交の大金星だった。史上初の会談で、共同声明にも署名した。それで正恩は一夜にして、世界ののけ者から世界最強国の指導者と肩を並べて歩ける「普通の国」のリーダーに変身できた。
国際舞台へのデビューを飾り、ドナルド・トランプ米大統領(当時)と個人的にも馬が合うという具合で、きっと2回目の会談では制裁解除につながる合意をまとめられると、正恩は確信を抱いたに違いない。
首脳会談を再度成功させ、経済的な利益を実現すれば、改憲を通じて正恩の地位を一段と高めても、誰も文句を言えない。国際社会で「普通の国」と認められるには、国家元首としての地位を憲法で明文化する必要があると、彼らは考えた。
そこで外交の成果がまだ人々の記憶に新しいうちに、つまり19年4月に改憲をする計画を立てた。しかしハノイから手ぶらで帰国する事態となり、計画は見直しを迫られたようだ。おそらく改憲が先細りになったのは、一般国民はもとより指導層の間でも、祖父の時代を超えるような権限付与に疑念が生じかねないと考えたからだろう。