「すぐ崩壊する」の観測を覆した金正恩の10周年、侮れない実力と「らしさ」
KIM JONG UN’S DECADE
ハノイ会談の不調により、内政面でも外交面でも体制側の計算は狂った。だから正恩政権は締め付けの強化を優先し、柔軟性よりも国力強化と原理原則の維持を打ち出し、より閉鎖的な社会へと向かった。
ハノイ会談後の演説で、正恩は「自力更生」を国家の優先課題とした。それは外交的に孤立した時期の決まり文句と言える。こうして、アメリカと敵対するという建国以来の伝統的な思考方法が復活した。
アメリカとの対立が長期化すれば北朝鮮の苦境が長引くことになり、社会秩序を保つためには統制強化が必要になる。正恩はそう考えたのだろう。
演説後には「自力更生」に加えて、思想の一体性や「非社会主義」要素の排除、規律といった内容の議論が国内で盛んになった。アメリカに対して外交の扉を閉ざしたわけではないが、交渉に応じるための条件は今までより高く設定した。
新型コロナウイルスの感染予防を名目とした全国ロックダウンは、自力更生と社会統制の強化という路線の実行に、むしろ好都合だったと言える。20年12月制定の「反動思想文化排撃法」は、こうしたハノイ会談後の状況や、感染症予防対策の衣をかぶった統制強化という広い文脈で理解されるべきだ。
築き始めた独自のブランド
権力の継承直後から、金正恩は父・正日よりも建国の父として今なお敬愛される祖父・日成をモデルとしたイメージづくりに邁進してきた。
祖父は頻繁に演説を行い、定期的に党大会を招集し、集団の合議により決定を下すスタイルを取った。父はあまり国民の前に姿を見せなかったが、祖父は2人目の妻である金聖愛を伴って公の場に姿を見せ、国民とも気さくに交流した。
その祖父と同様に、正恩もたびたび演説をしている。12年4月に金日成広場で行った初めての演説は、明らかに祖父をまねたものだった。国民や兵士と交流する姿も頻繁に伝えられている。妻の李雪主(リ・ソルジュ)と共に公の場に姿を見せることもある。
そして権力継承から時間がたち、最高指導者としての自信が付き始めると、正恩は指導者として独自のブランドを築き始めた。現体制への潜在的脅威や政敵を残虐な方法で排除する伝統は維持しており、叔父の張成沢を処刑し、異母兄の金正男(キム・ジョンナム)を暗殺させた。
祖父の時代に始まった核兵器開発計画も継続させ、さらにミサイル発射能力を新たな高みに引き上げてみせ、17年11月には「国の核武力を完成させた」と宣言した。