「あの林家の息子」と知られ仕事はクビ、結婚も破談に 和歌山カレー事件の加害者家族を襲った過酷な日々
飲食店をクビになり、結婚も破談
今までの人生で一番充実していたときはいつかという問い掛けに、「みんなそろって実家で過ごしていた10年間しか、手放しで幸せを感じていないんです。あの楽しかった毎日の記憶が今でもあるから和歌山から離れたくない。だから、お父さんが出所すると自然と家族が集まった」と回想する。だが、思い出の実家も00年に何者かに放火されて全焼。更地となった。帰る場所も今はない。
預けられた児童養護施設ではいじめを受けた。社会に出て働いた飲食店でも、素性を知られると「衛生的に良くない」とクビ同然で退職。「林家の息子」と打ち明けると結婚すら破談になった。ありとあらゆる差別を、身をもって味わった。
一般的に社会からこれほどひどい仕打ちに遭えば、道を逸脱すると考える人も多いのではないか。だが、それも違う。罪を犯せば「林家」という枕詞が付いて回る。世間から「やっぱりか」とレッテル貼りされるのが嫌なのだ。
「仮に万引一つでもすると、おそらく大きなニュースになって家族にも取材が行く。子どもながらに、そう思ってました。バイク乗り回すにしても、シンナー吸うにしても全部お金がかかる。金銭的に余裕がないですから。加害者家族にはそんな余裕はないです。それだったら1食でも多く食べたい」
マスコミに苦しめられつつ、本音で語れる相手もマスコミだけ
ところで、こうした取材を浩次さんと父親の健治さんが受けるのも、自分の兄弟に取材が向かわないようにするストッパーの役割も兼ねている。
一方で、取材を快く思っていない兄弟と次第に疎遠となった。万が一を考慮して、兄弟は住所や電話番号すらも浩次さんに伝えていないという。用があれば一方的にLINEが送られてきて、既読になるとその後ブロック。連絡が入るのも何年かに一度。普通に生きたいと思う兄弟と、母親の無実を証明したい浩次さんとの間で隔たりが生まれてしまったのだという。
取材で私生活を公にするのは、確かにさまざまなリスクも孕んでいる。父親の健治さんは根っからの話好きで、東京から記者が訪れるとまず断らない。全員自宅に招き入れてしまうから、浩次さんは「自制して」と口を尖らせる。マスコミは諸刃の剣である。健治さんも過去の経験上からそれを痛感しているが、「和歌山までわざわざ来たんだから申し訳ない」とこぼすのだ。
マスコミに人生を狂わされる一方で、本音で語れる相手もマスコミ人という矛盾を抱えたまま、19年4月に浩次さんはある行動に出る。某局に勤務するTVカメラマンから「マスコミ対策でTwitterアカウントを持った方がいい」とアドバイスされ、アカウントを開設した。これまでもテレビ局との打ち合わせで「冤罪を訴える番組構成にする」と言われても、放映を見ると事件を扱うのみということがあった。無実を訴える浩次さんのインタビューは全カットされた。そして翌年になると風物詩のように再び彼を持ち上げて、何事もなかったように出演を依頼する。