タリバンの思想は農村では「当たり前」? カブール市民が震え上がる「恐怖政権」の正体
THE MYSTERY OF TALIBAN RULE
復古的なイスラム解釈。伝統的な農村の価値観。これらに基づくタリバン流の統治は、地方部の男性にとっては違和感が少なく、むしろ「それが当然」とすら思う人も珍しくない。アフガニスタンで長年にわたり支援活動を続けてきた故・中村哲医師が繰り返し、「タリバンは狂信的集団ではない。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感がない」と語ってきた理由は、ここにある。
だがタリバンが自らの価値観を都市部でも強要すれば、何が起きるか。カブールなどの大都市では、さまざまな少数民族やイスラム教シーア派をはじめとする少数宗派の信者が集まる。さらにキャリアを通じた自己実現と家庭生活の両立を求める女性や、留学や外国生活を経験し社会の近代化を目指す人も多い。
一方的な価値観の強制は、当然ながら反発を招く。服従させるための暴力が襲う。それが第1次タリバン政権時代に起きた悲劇であり、いまカブールの人々を包む恐怖心の源だ。
タリバンは「外国の占領軍と闘う解放軍」というナショナリズムの要素も帯びていた。誤爆の被害や文化的行き違いからのトラブルが相次ぐなか、アフガニスタンの多くの人は米軍を「解放軍」ではなく、「占領軍」と見なした。
アフガン人には、これまでイギリスやソ連といった列強の侵攻をはね返して敗退させたという、民族の枠を超えた独特のナショナリズムがある。国際政治の世界でアフガニスタンは「帝国の墓場」と呼ばれてきた。
日本はアフガニスタンで、奇妙な親近感を持たれてきた。現地で「日本は私たちと同じ年に独立を果たした兄弟国だ。発展した日本を尊敬している」と笑顔で声を掛けられた日本人は、私だけではない。アフガニスタンは確かに1919年に英軍に勝ち独立を果たしたが、日本はそうではない。しかし、アフガニスタンではなぜかそう広く信じられ、日本に親近感を感じると同時に自らの独立を誇りに思う気風がある。
「占領軍」が支えたアフガン政府は、かつての軍閥の集合体だ。相互対立や悪政などでタリバン躍進の原因をつくった軍閥が、新政府の座に就いても腐敗体質を維持し続けていた。
アフガン政府軍には、帳簿の上にしか存在しない多くの「幽霊兵士」がいた。タリバンとの戦闘を恐れて逃亡した兵員をそのままカウントしたり、最初から実在しない人員を書類上で偽造したりした各地のボスや役人たちが、アメリカなどから注ぎ込まれる資金を懐に入れていたのだ。こんな状況下でタリバンは、地方部を中心に再び支持を集めていった。