タリバンの思想は農村では「当たり前」? カブール市民が震え上がる「恐怖政権」の正体
THE MYSTERY OF TALIBAN RULE
タリバンが会見で語った「シャリーアの枠内で権利を尊重する」という言葉。シャリーアとは、イスラム法を意味する。イスラム法は日本の憲法のように条文ごとにまとめられたものではない。聖典コーランと口伝などで伝承された預言者の慣行(スンナ)、これらを踏まえたイスラム法学者の類推や解釈、合意などを含む幅広い知的体系であり、イスラムを学ぶ上でも実践する上でも欠かせない要素だ。
タリバン幹部は英メディアに、女性に対して頭からすっぽりとかぶり全身を覆う「ブルカ」の着用は強制しない、と述べた。ただし今後も、髪を覆う「ヒジャブ」は義務とした。20年前、タリバンは「ブルカは義務」と主張していた。タリバンの言う「シャリーアの枠」が、この20年で変化したということだ。
聖典コーランに「顔を隠せ」「ブルカは義務」と直接、女性に命じる部分はない。
ヒジャブの根拠とされるものの1つはコーラン24章31節。岩波文庫の井筒俊彦訳では「外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう」となっている。別の和訳では「胸の上にベールを垂れなさい」となっている。翻訳の段階で原文の解釈が加わり、表現も変わっている。
啓示をどう読み解くか。コーランのほか、預言者ムハンマドはどんな規範を示したのか。それらから何が類推できるのか。解釈は1つではない。人によって社会によって時代によって「シャリーアの枠」は変わるのだ。
イスラム教徒の女性でヒジャブをかぶる人は多い。エジプトでは大きなスカーフを巻いて顔を出すのが主流だし、サウジアラビアでは目だけを出すニカブ姿の女性が目立つ。中東の女性がブルカを着用することは、まずない。だから90年代、タリバンのブルカ強制には中東からも「あれは地域の慣習でイスラム教徒の義務ではない」と批判が出た。
実際にこの20年で、タリバンはカタールに政治事務所を開設し、日本を含む各国を訪問。アメリカとも長期にわたり交渉し、国際社会と接触する経験を積み重ねてきた。
96年にカブールを制圧したときのタリバンは、山村や難民キャンプから出てきた、野武士のような「イスラム戦士」集団だった。「イスラムは正しい教えなのだから、(自分たちの解釈する)イスラムに従えば全てうまくいく」という、ある種のユートピア主義で理念先行の部分があった。
今度はそこに、国際経験と広い見聞が加わった。「タリバン2.0」という表現も各国のメディアで使われ始めている。しかし、会見で報道官は「シャリーアの枠内」の具体的な規範を、ほとんど示さなかった。女性の権利などでシャリーアの枠をどう判断するかについて、タリバンとそのイスラム法学者が解釈を独占することには、変わりなさそうだ。