戦闘で陸の孤島と化したエチオピア・ティグレ州の惨状を訴える手紙
Tigray District Leader Offers Dire Account of Deaths, Looting in Region
家族がアクセス困難な地域に取り残されているティグレ人たちは、情報が入らないため、何カ月もの間、恐怖と絶望に見舞われている。
「あの地域からなんとか逃れてきた人から話を聞くたびに、痛みと衝撃を感じる」と、マイ・キネタル出身のティグレ人で現在は別の場所で暮らしているテクレハイマノット・G・ウェルデミシェルは言う。同地区にある彼の実家は、戦闘が始まってすぐに砲撃を受けた。その後、両親が実家に戻ったが、エリトリア軍の兵士たちに写真立てやアルバムに至るまでのあらゆるものが奪われていたという。
同地区からスーダンに逃れたキブレアブ・フィゼハはAP通信に対して、マイ・キネタル地区にいた糖尿病を患ういとこが、食糧不足で死亡したと語った。「両親はまだあそこにいる」と彼は語った。「両親は家の中に隠れている。助けが到着するまで、無事でいてくれることを願っている」
また別の住民はAP通信に対して、戦闘が始まってから、一度だけ母親と話すことができたと語った。約1カ月前、電話回線が再び遮断される前のことで、母親とは短い会話を交わしたという。
「戦闘が始まってからずっと、母に電話をかけていた」と、ツィーゲ(家族を守るためファーストネームのみ)と名乗るこの男性は語った。母親は、エリトリア軍が地元の村を掌握して、多くの住民が村を後にしたと語っていたという。
「いま行動を起こして」
ツィーゲの父親(70代)は、高齢のため逃げることができなかった。ある日、エリトリア軍の兵士たちがツィーゲの実家にやって来て、水を持ってくるよう父親に頼んだ。父親が水を渡すと、兵士たちは危害を加えずに見逃してくれたという。
だが兵士たちが村の民家をまわって捜索を行うなか、彼らに見つかってティグレ人勢力の戦闘員とのつながりを疑われた者たちは、殺された。住民が逃げていなくなった後の家は、焼き払われた。
ツィーゲの別の親族は、エリトリア軍の兵士たちに家畜を渡すのを拒み、孫の目の前で殺された。マイ・キネタル地区ではツィーゲが知っているだけでも11人が殺害され、その中には70代の耳の不自由な男性もいたという。
現在はティグレ州から遠く離れた日本に留学しているツィーゲは、「最悪の事態に備えなければならない。数分おきに家族のことを考えている」と語った。
ツィーゲは若く、1980年代に内戦のさなかエチオピア、特にティグレ州を襲って世界に衝撃を与えた飢饉を知らないが、家族から当時の話を聞かされて育った。彼は国際社会に行動して欲しいと述べ、またエチオピアのアビー・アハメド首相に「人として」戦闘を終わらせてほしいと語った。
「今また内戦が起きていて、私たちはそれをただ眺めているだけだ」と彼は言う。「家族が死んだ後に撮影されたドキュメンタリーなんて見たくない。いま行動を起こして欲しい」
2024年11月26日号(11月19日発売)は「超解説 トランプ2.0」特集。電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること。[PLUS]驚きの閣僚リスト/分野別米投資ガイド
※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら