アメリカ二大政党制が迎えた限界...ついに第三政党の躍進へ機は熟した
IT’S TIME TO PARTY
大学教育を受けた若い白人左派が話題性の高い政治問題をあおることで、穏健な労働者階級の非白人を民主党から遠ざけていると、ショアは主張する。実際、多くの民主党有力者は20年の下院選で議席を減らした元凶として党のリベラルなスタンスをやり玉に挙げている。
20年11月、カリフォルニア州で州機関や大学入試における差別是正措置(アファーマティブ・アクション)の復活に道を開く住民投票が、ヒスパニック系やアジア系の反対で否決されたのもこの動きの一環だと、元共和党下院議員で現在は中道派のコモンセンス党の議長を務めるトム・キャンベルは言う。
中道派の第三政党が一部の民主党支持者を引き付けられれば、大統領選の展望が開けるかもしれない。無党派層の大半と共和党支持者の3分の1、民主党支持者の5分の1を獲得すれば、選挙に勝てる計算だ。
従来の常識では、アメリカの選挙制度は大政党に有利であり、新党は二大政党が150年以上かけて築いてきた資金調達能力や幅広い支持基盤に押しつぶされるとされている。だがイギリスやカナダ、インド、フィリピンなど、アメリカと同様の小選挙区制を採用している国には、一定の力を持つ第三政党が存在する。
過去に躍進した第三政党は?
アメリカが全くの例外というわけでもない。19世紀にはノウ・ナッシング党や自由土地党など、重要な第三政党がいくつも存在していた。
19世紀前半に民主党と共に二大政党制を成立させたホイッグ党は、第三政党の台頭により凋落した。それが元同党所属の下院議員エイブラハム・リンカーン率いる共和党だった。
以後、当選可能性のある第三政党の大統領候補が登場したのは1912年だけ。大統領を2期務めたセオドア・ルーズベルトが共和党の指名争いでウィリアム・ハワード・タフトに敗れ、進歩党を結成して出馬。民主党のウッドロー・ウィルソンに次ぐ2位に入ったのが唯一の例だ。
現代の米大統領選で一定程度の支持をつかんだ第三政党は2つしかない。68年に約14%の得票率を記録したジョージ・ウォレスのアメリカ独立党と、92年に20%弱の票を獲得したロス・ペローの改革党だ。
ペローは中道路線を打ち出し、民主・共和両党の支持者をほぼ同数引き寄せた。そのため現代における第三政党の概念を示すモデルとしてよく持ち出される。選挙戦の序盤では支持率トップを誇ったからなおさらだ(途中でいったん出馬を取り下げて勢いを失い最終的には敗れたが)。