複合的な周年期である2021年と、「中東中心史観」の現代史
「中東問題」の世代論
ここまでは現代史の歴史認識・時代区分の若干の修正を提起する議論を試みたが、この後は少しばかりの「自分語り」をお許しいただきたい。
冒頭に記した「中東中心史観」とも言える現代史の叙述の流れ、すなわち1991年の湾岸戦争を現代史の起点とみなし、それ以後の歴史の中で2001年の9・11事件を最重要の曲がり角と捉え、2011年の「アラブの春」を契機にした中東地域の秩序変動を見届けながら、そこからグローバルな国際秩序の弛緩や改変の予兆を見出す、さらには、前近代の秩序への部分的な回帰を含む、新たな国際秩序の出現を展望しようとする視点は、私個人の、あるいは私の属する世代の経験を多分に反映している。
私個人にとっては、1991年の湾岸戦争を、進路をぼんやりと考える高校2年生として体験したことが、大学に入ってから中東・イスラーム研究を専攻に選ぶ遠因となったというかなり平凡な経緯を、今から振り返ると認めざるを得ない。
2001年の9・11事件は、イスラーム政治思想という、それまでは日本ではかなり周辺的で、趣味的な課題と見られがちだったものが、現代の国際政治に直接的・死活的に影響を及ぼすものとして認識されたことから、私自身が公的な場で発言を求められる書き手として存在することを可能にした。2011年の「アラブの春」はさらに中東問題への社会的・経済的関心を高めた。2001年以後の20年間は、文字通り休む暇もなかったというのが正直なところである。
しかし考えてみれば私が生まれた1973年はオイルショックの年であり、日本で中東という地域の戦略的重要性が広く認識された最初の事件が起きた年と言ってもいい。生まれ年というものが個人の、あるいは世代の意識に影響を与えるかは実証しにくい問題だが、ニュースが今よりずっと一元化されていた時代において、自分の生まれ年に結びつけてたびたび語られる事件・事象に関心を持ちやすいということはあるのかもしれない。