シリア大統領選挙──アサド大統領が再選 得票率95%をどう捉える
前回選挙との違い
レバノンの財政破綻(2020年3月)、コロナ禍(2020月3月~)、そして欧米諸国による経済制裁の継続によって経済が低迷し、復興は思うように進んではいない。だが、選挙は前回と比べて格段に安定した状況下で実施され、選挙宣伝や選挙活動もきわめて大規模に行われた。
選挙戦が幕を開けた5月16日以降、選挙実施の支持と投票参加を訴える「愛国テント」と銘打たれた特設会場が各地に設置され、そこで開催されるデモや集会に多くの人々が参加した。反体制系のメディアや活動家は、治安当局による脅迫を受けて人々が参加を余儀なくされたと主張した。だが、連日連夜にわたって続けられる示威行動は、政府支配地域の治安がきわめて安定していること、そして国家が十分な治安維持能力を持っていることを示していた。デモや集会はいずれも、アサド大統領の支持者によるものだった。だが、政府系メディアは(総選挙法の規定に従い)、こうした動きが大統領ではなく、選挙実施を支持するものだと報じた。
独自色を示せない対抗馬
政府系メディアはまた、アサド大統領の対抗馬であるアブドゥッラーとマルイーのインタビュー番組を企画、両氏の選挙綱領の内容を詳細に報じた。反体制派初の立候補者であるマルイーにいたっては、ロシアのメディアだけでなく、英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団の取材にも応じた。
だが、難民帰還、米国やトルコの占領に対する闘争、復興などを掲げる2人の政策ヴィジョンは、アサド大統領と大差なかった。とりわけ、マルイーは、「体制打倒」、「自由」と「尊厳」の実現など、反体制派が好んで用いるフレーズを封印したため、反体制派候補としての独自色すら示すことはできなかった。そればかりか、体制によってお膳立てされた「偽りの選挙」に参加したとして、同じ反体制派から厳しい批判に晒された。
これに対して、アサド大統領は、選挙活動を行うことはなかった。だが、国内外逃亡罪(兵役忌避罪)への恩赦を定めた2021年政令第13号(5月2日)、民間および軍の公務員・定年退職者への手当・支援金支給を定めた2021年政令第14号(5月8日)、2021年5月31日までに予備役が2年以上となる士官・軍医の召集猶予を終了し、退役を認めることを定めた行政令(5月10日)、投資促進を目的とする2021年法律第18号(新投資法)(5月19日)を矢継ぎ早に施行し、存在をアピールした。
また、5月6日にイラクのイラクのファーリフ・ファイヤード内閣国家安全保障担当顧問兼人民動員評議会議長、12日にイランのモハンマド・ジャヴァード・ザリーフ外務大臣と、17日にアブハジヤのアスラン・ブジャニヤ大統領、20日にパレスチナ諸派の指導者らと会談し、13日にはダマスカス旧市街の大ウマイヤ・モスクでイード・アル=フィトルを祝うための集団礼拝に参加し、頻繁にメディアに登場した。
報道から見えてくるもの
投票は5月26日の午前7時から全国12,102カ所に設置された投票所で開始された。国営のシリア・アラブ通信(SANA)やイフバーリーヤ・チャンネル、そして政府系のメディアやニュース・サイトは、投票所が有権者で溢れ返る様子、投票を済ませた有権者がデモや行進を行い歓喜する様子をリアルタイムで大々的に報じた(「シリア・アラブの春顛末記」2021年5月26日)。
選挙監視にあたる最高司法選挙委員会は、大挙する有権者に対応するため、投票終了時間を法律が定める午後7時から午後12時に変更することを決定した。
政府系メディアと反体制系メディア双方の報道を注視すると、そこには今回の選挙に特徴とも言える様々な点が見えてくる。
第1は、アサド大統領への支持が低く、政府の支配への不満が高いとされている地域での投票、デモ、集会、行進の様子も報じられた点である。
具体的には、PYDが主導する自治政体の北・東シリア自治局と政府の共同統治下にあるハサカ県、中北部を反体制派によって掌握されているイドリブ県、政府の支配下にあるものの、軍・治安部隊を狙った襲撃事件が絶えないダルアー県の様子である。