認知症の混乱と悲哀を「体感」した先に待つ感動...映画『ファーザー』の凄み
A Dementia Movie Unlike Any Other
ゼレールはほかにもあの手この手でアンソニーの混乱を表現する。彼が暮らすアパートの間取りや装飾も微妙に変わり続け、観客は彼が過去に訪れた場所や住んでいた場所と混同しているのだと気付く。
暖炉の上に飾っていたはずの絵が突然消え、絵などなかったと言われる(絵を描いたのはアンの妹で、常に自分の「一番のお気に入りの娘だった」とアンソニーはアンの前で言い放つ)。アパートの部屋になかったはずの家具がある。会話も堂々巡りで、同じ言葉を別の人物が口にしたり、同じ場面で2度繰り返されたりするように思える。
このわずかだが絶え間ない混乱のプロセスが淡々と伝えられる。凝ったカメラワークも幻覚のようなモンタージュも悲痛なクローズアップもない。誰が、何が待ち受けているかと、毎朝恐る恐る寝室のドアを開けるアンソニーに、観客を感情移入させる趣向だ。
壊れていく側の視点から
作品のトーンは冷淡とまでは言わない。壊れた家族が正しい選択をしようと苦悩する姿を老いた親の視点で描く本作は、十分思いやりがあり、特に終盤は非常に感動的だ。
それでも、作品にもアンソニーにも、昔ながらの心温まるものは皆無だ。前半でアンソニーは娘による夫(らしき男)に対する不実(らしきもの)を暴いて喜ぶ。その後、介護人(イモージェン・プーツ)に愛嬌を振りまき、彼女にウイスキーを注いで即興のタップダンスを踊りだすが、相手が好意を抱きかけた途端、彼女を攻撃し侮辱する。
アンソニーはリア王のように、献身的な娘を疑い、悪巧みをしていると非難する。アンに心から感謝したかと思えば、次の瞬間にはまたつまらないことでけんかを吹っ掛け、娘の思いを踏みにじる。
終盤はペースを落とし(たびたび時間が飛ぶので97分という上映時間も長くは感じない)、次第に区別がつかなくなっていく母親・娘・介護人をコールマンとウィリアムズが演じる。ホプキンスは見たことがないほど役(彼に当て書きされた同名・同誕生日の人物)に入り込んでいる。
この伝説的俳優が演じた役で最も印象深いのは『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターや『日の名残り』の執事など、頭脳明晰で洗練された人物だ。
アンソニーも最初はクラシック音楽を聞きながら分厚い学術書を読み、教養があってブルジョア的な生活を楽しんでいる。だが急速に自分らしさが失われていくのに気付き、しまいには自分がどこにいるのか、誰と一緒にいるのか、次に何が起きるのかを理解するのに必死になる。
ホプキンスはこの役で、米アカデミー賞主演男優賞を受賞。現在83歳の彼が、人は皆滅びゆく運命にあるという悲惨な現実に厳粛さと好奇心と弱さを持って向き合う役に挑んだというだけでも、見るに値する作品だ。そして、才能あふれる映画監督の誕生を目撃できるという意味でも。
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