ジョージ・フロイド事件「有罪」で実現しなかった「正義」とは何か
有罪評決に歓喜する地元ミネアポリスの人々(4月20日) ADREES LATIF-REUTERS
<評決により説明責任は果たされたが、2013年以降に9000人が警官に殺されてきたアメリカに必要なのは、警官の「非武装化」などの改革だ>
ミネソタ州地裁の陪審は4月20日、昨年5月25日に黒人男性ジョージ・フロイドが殺された事件について、ミネアポリスの元警官デレク・ショービンに意図せざる第2級殺人、第3級殺人、第2級過失致死で有罪評決を出した。
全米中のオフィスと家庭、そしてストリートで無数の人々がほっと息をついた。フロイドはあの日、首に膝を押し当てられ、9分29秒間も息をつけない状態に置かれ続けた。
この評決で説明責任は果たされたが、「正義」が実現したと言えるわけではない。フロイドは警官によって白昼堂々と殺されたのだ。衆人環視の中で、ゆっくりと残酷に。
彼は息ができないと訴え、助命を嘆願した。傍観者の一部は警官の行為を警察に通報して彼を救おうとした。だがフロイドは死んだ。二度と家族の元には帰ってこない。
ミネアポリスとミネソタ州、そしてアメリカ全体の警察は根本的に破綻している。根本的に正義に反する存在なのだ。
評決から1週間ほど前の4月11日、20歳のダンテ・ライトが交通違反取り締まり中の警官に至近距離から撃たれた。その現場は地裁から十数キロしか離れていない。ミネソタ州では2000年以降、200人近くが警官に殺された。全米では2013年以降、9000人以上(その多くが黒人)だ。
フロイドを死に追いやった「システム」は変更されず、その後もライトを含む多くの人々が死んだ。つまり、フロイドの死に対する説明責任は果たされたが、正義は実現しなかったのだ。
正義とは──首を絞める警官の制圧行動と無断家宅捜索令状の禁止だ。警官の「非武装化」とボディーカメラの装着義務付けだ。警察の不正行為に関するデータを集め、広く共有することだ。治安よりも安全を優先した地域密着型の警察活動だ。そしてジョージ・フロイドの名を冠した警察の改革法案を成立させることだ。
フロイドの娘ジアンナ・フロイドは、「お父さんは世界を変えた」と言った。議員も警官も一般市民も、それを目指して行動ができるし、そうすべきだ。
裁判が終わる数日前、マクシーン・ウォーターズ下院議員(民主党)は、有罪評決が出なければ「対決姿勢をもっと強化」しようとデモ参加者に呼び掛けた。下院共和党はウォーターズの問責に動き、ショービンの弁護士は裁判の無効を申し立てた。
結果は不発に終わったが、いずれも人種的正義を求める抗議活動やデモに対する強い不信感を示している。しかし、抗議活動やデモは変革の前触れだ。それがアメリカの歴史であり、世界の歴史でもある。