オーウェル的世界よりミャンマーの未来に投資しよう、「人間の尊厳」を原点に
日本政府はいまやミャンマー国民からも国際世論からも、ビッグブラザーの仲間と見られても仕方ないであろう。つまり、人間の尊厳を踏みにじる支配者側の行為に加担することによって、みずからの人間としての尊厳を損なおうとしていることに気づこうとしない。
そのような日本の姿が、他者の鏡にどのように映し出されているかを見てみよう。
日本の価値観外交の詭弁
ひとつは、「日本の価値観外交はミャンマーで座礁」と題する、テンプル大学ジャパンキャンパスのジェフ・キングストン教授が2月22日にFORSEA (Forces of Renewal for Southeast Asia)に寄せた以下の論稿である。
「価値観外交」とは、「普遍的価値(自由主義、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)に基づく外交」(外務省HP)とされ、安倍晋三首相が2016年に日本政府の外交方針として提唱した。これを推進するために、日本、米国、オーストラリア、インドの4ヶ国首脳や外相による安全保障や経済を協議する枠組み「自由で開かれたインド太平洋戦略(Free and Open Indo- Pacific Strategy:FOIP)」が立ち上げられた。「ユーラシア大陸に沿って自由の輪を広げ、普遍的価値を基礎とする豊かで安定した地域を形成」するものと説明されている。この戦略は、こうした価値観を共有できずに「一帯一路」構想によって地域への影響力を強める中国に対抗する狙いがあるとされる。
では価値観外交は、ミャンマーではどう機能しているだろうか。
多くの在日ミャンマー人が日本政府に対して、祖国の民主化運動を支援してほしいと訴えて外務省前でデモをおこない、日本人参加者とともに要望書を同省に手渡した。しかし日本政府は彼らの声には耳を傾けようとはせず、軍事政権と行動をともにするようだ。
菅政権の内閣官房参与で外交ブレーンの宮家邦彦氏はジャパンタイムズ紙(2月4日)で、国軍への制裁と圧力に反対し、説得を優先すべきだと述べている。「ミャンマーに対する圧力政策の再開はタッマドー(国軍)を暗黒面に押しもどしてしまうだけである」として、「必要なのは、国際社会の一致した監視のもとでタッマドーの指導者が心変わりするよう話合いを再開し、最終的には説得できるよう慎重な努力をすることだ」とされる。