「90年代体制」の崩壊──西サハラ、ナゴルノカラバフから香港まで
COLLAPSE OF THE ‘90S DEALS
前線に陣取るアルメニア人兵士(10月18日)。アゼルバイジャンとの戦闘は11月10日に停戦が成立したが…… ARIS MESSINIS-GETTY IMAGES-SLATE
<このところ、冷静直後に成立した停戦が次々に破綻している。オスロ合意や「一国二制度」合意など、他の政治的妥協も揺らいでいる。互いに無関係な動きだが、重要な共通点があった>
カフカス、エチオピア、西サハラで紛争が再び激化している。一見、互いに無関係な動きだが、重要な共通点が1つある。1990年代前半から半ばに実現した停戦や政治的妥協が崩壊しているのだ。
1990年代前半はソ連とユーゴスラビアの崩壊、エリトリアとナミビアの独立により、世界地図が大きく書き換えられた最後の時期だった。
その後、新国家の誕生や国境の見直しは減少し、国際紛争の主要因として独立運動の重要性は低下した。大きな理由の1つは、1990年代に行われた停戦や妥協によって、多くの領土紛争が凍結されたことだった。だが現在、凍結されたが解決していない紛争の多くが、火を噴きつつある。
エチオピアでは、11月4日に北部ティグレ州で中央政府と分離独立派との戦闘が勃発。本格的な内戦の危機に陥った。紛争は隣国エリトリアにも波及。数百人が殺され、少なくとも2万5000人が難民となった。
約80の民族が存在するエチオピアでは、長いこと民族間対立による暴力が続いていた。ティグレ人民解放戦線(TPLF)は1970~80年代、軍事独裁政権に対して革命戦争を起こした。独裁政権崩壊後の30年間は、大半の期間を通じてエチオピアの政治を支配した。
民族紛争を沈静化させるため、TPLF率いるエチオピア政府は1994年に新憲法を制定。9つの民族を基本単位とする連邦国家をつくり、それぞれに高度な自治権を与えた。この連邦制は一時的に暴力を沈静化させたが、一方で民族同士の分断を深め、追認することにもなった。かつてのユーゴスラビアと同じように、連邦制は民族紛争を解消するのではなく、一時凍結しただけだった。
改革派のアビー・アハメド首相が就任した2018年以降、抑え込まれていた不満の多くが爆発した。エチオピアはその時点で既に世界最多の難民を発生させていたが、その大半は南部の民族間暴力を逃れた人々だった。アビーは2019年にノーベル平和賞を受賞したが、今では受賞理由となった民主化と地域平和に向けた歩みが台無しになりかけている。
「武力闘争の再開」を発表
一方、カフカスでは11月10日に係争地ナゴルノカラバフをめぐるアゼルバイジャンとアルメニアの戦闘がようやく停戦にこぎ着けた。6週間の戦闘で少なくとも1000人が死亡。多数の避難民が発生した。