「90年代体制」の崩壊──西サハラ、ナゴルノカラバフから香港まで
COLLAPSE OF THE ‘90S DEALS
対立の発端は、アゼルバイジャンもアルメニアもソ連の一部だった1980年代にさかのぼる。アルメニア系住民が多いナゴルノカラバフは、アゼルバイジャン領内の自治州だったが、自分たちのアルメニアへの移管を要求。それをきっかけに一連の民族虐殺が始まり、1991年のソ連解体後に国家間の戦争に発展した。両国の戦闘は2万5000人以上の死者を出し、約100万の民間人(主にアゼルバイジャン人)が移住を余儀なくされることになった。
ロシアが仲介した停戦により、1994年に戦闘は終結。ナゴルノカラバフは半独立の(しかし国際的には承認されていない)飛び地となり、周辺のいくつかの地域もアルメニアの支配下に置かれた。
その後26年間、停戦は何度も破られたが、今年9月末にアゼルバイジャンが軍事攻勢に出ると、ロシアやトルコなどの地域大国を巻き込む本格的な戦闘に発展した。
結果はアルメニアの明白な敗北だった。アルメニアは停戦条件として、ナゴルノカラバフ以外の実効支配地域を引き渡すことを要求され、今度はアルメニア人が大量に移住することになった。これに反発して、アルメニア国内では大規模な反政府デモが起きている。これで長く続いた紛争が終わるとは考えにくい情勢だ。
アフリカ北西部沿岸の西サハラでも11月13日、この地域の領有権を主張するモロッコが国連管理下の緩衝地帯で軍事作戦を開始。これを受けて、独立派のポリサリオ戦線が「武力闘争の再開」を発表した。
この地域は旧宗主国スペインの撤退を受けて、1975 年にモロッコが占領した。現地に住むサハラウィ人の民族自決運動であるポリサリオ戦線は、占領に抵抗して戦い、1991年に国連の仲介で停戦が成立。停戦の条件として、この地域の最終的な帰属を決める住民投票が行われることになったが、一度も実施されなかった。
根本的な解決を先送りしたツケ
現在、領土の大部分はモロッコの支配下にある。何万人ものサハラウィ人がアルジェリアの難民キャンプで、世界で最も長く続いている、最も無視されてきた紛争の1つが解決されるのを待っているが、本格的な軍事衝突が再燃しそうな雲行きだ。
1993年のイスラエルとパレスチナのオスロ合意、98年の北アイルランド包括和平合意(ストーモント合意)、97年のイギリス統治終了後の香港の自治を確認した「一国二制度」の合意など、他の90年代の政治的妥協も、ここへきて揺らいでいる。