コロナでグローバル化は衰退しないが、より困難な時代に突入する(細谷雄一)
つまりは、既にここ10年ほどの間、大国間、とりわけ米中間の地政学的な対立と、国際協調や法の支配を擁護するようなリベラルな国際秩序の後退が進行しており、そして反グローバリズム運動に支えられて国民国家の復権が語られていたのである。
ナショナリズムがグローバル化を侵食し、国際協調はより困難となっていた。15年の欧州難民危機、そして同時期におけるテロ事件の多発は、国境を越える人の移動に対する抵抗感と嫌悪感を醸成した。
また16年6月のイギリスにおける国民投票の結果としてのEU離脱の決定、そして同年11月のアメリカ大統領選挙でのドナルド・トランプ候補の勝利は、国家間の「壁」を構築することを米英の国民が賛美する様子を示すものであった。
そのような潮流の中でコロナ禍が広がったことで、米中間の相互不信が一気に増幅され、国際協調はさらに退潮し、国際組織はよりいっそう無力となった。すると、海洋国家としてのアメリカと、大陸国家としての中国がユーラシア大陸の外縁部で対峙するような地政学が復活し、国民国家が復権して、国境や領土がより大きな意味を持つようになったのだ。世界史の逆流は既に始まっていたのである。
そもそも多面的で複合的
それでは、国境がより大きな意味を持ち、グローバル化は衰退していくのか。そうはならないであろう。重要なことは、グローバル化とはそもそも多面的で複合的であることだ。
マンフレッド・スティーガーはその著書『新版 グローバリゼーション』(岩波書店)の「第2版はしがき」において、「グローバリゼーションが何がしかの単一の主題の枠組みには限定しがたいものであって、一連の多次元的な社会的過程として考察するのがもっとも適切である」と主張している。「多次元的な社会的過程」ということは、グローバル化が進む次元もあれば、後退する次元もあるということだ。
コロナ禍の下の世界においては、国境を越えた人の移動は停滞して従来のような往来が期待できない。とはいえデジタル化のより一層の促進と、5Gの導入によるインターネットの高速化により、情報はより多く、より早く、国境を越えて移動することになるであろう。それはまた、オンラインで人と人がつながり、情報や危機感を共有して、世界が「一つ」になることを意味する。