日本人が知らない、アメリカ黒人社会がいま望んでいること
WHERE DO WE GO FROM HERE?
パトリック・ングォロ牧師は午後5時過ぎにバスケットボールのハーフコートで待っていた。ヒューストンの熱い空気のなか、子供たちがボールをドリブルしていた。このコートは市で最大の公営団地クニーの中心部にあり、ゴール下には「ジョージ・フロイド」の名前がスプレーでペイントされていた。
クニーは600戸の巨大な低層団地で、褐色と赤の外壁から「レンガ」と呼ばれる。団地は黒人の政治と文化の中心地であるヒューストンの第3区に位置している。ずっと前から黒人のアーティストや作家、政治家を輩出しており、あのビヨンセもここの出身だ。
黒人のためにつくられたテキサス・サザン大学から団地と自動車整備工場や酒屋が続くこの一帯は「ザ・ボトムズ」と呼ばれている。故ジョージ・フロイドはザ・ボトムズでよく知られた存在で、団地の端にある白い平屋の家に住んでいた。
ングォロが数年前に教会を開設したとき、フロイドの母親は団地の住民理事会の役員で、バスケットボールコートで教会の奉仕イベントを開催する許可を取る手伝いをした。その後、フロイド自身も協力を申し出て、もしも誰かに邪魔されたら俺の名前を出せと言ってくれた。
「彼は多くの人を導き、助言を与えた」。46歳のフロイドは町の長老格だったとングォロは言う。多くの男性が10代で命を落とす町の一角で、フロイドは孫の顔を見るほどに長生きをした。「3区の住民はみんな、偉大なフロイドを知っている」
ングォロと私は少し歩いて、フロイドをよく知る青年J・R・トーレス(27)に会いに行った。トーレスの妹はフロイドの親友との間に子供がいる。あの日、トーレスはインスタグラムで動画を見たが、被害者の名は確認していなかった。
その後、妹がメールで、警察がフロイドを殺したと知らせてきた。そこで初めて、トーレスは動画の中で死んでいく男がいつも励ましの言葉を口にし、トラブルに巻き込まれるなと言っていた近所の住人だったことに気付いた。
私たちはトーレスの白い車に乗って団地の反対側に行き、追悼の場になっている壁に到着した。天使の翼を付けたフロイドの姿が描かれていた。献辞には「偉大なフロイドを思い、愛を込めて」とあった。
追悼の壁には30人ほどが集まっていた。近づいてみると車のボンネットに乗った男がいた。地元出身の有名ラッパー、レナード・マッゴーウェンだ。「問題は警察よりずっと大きいと思う」と彼は言った。
マッゴーウェンはフロイドとは昔からの知り合いで、子供の頃はフロイドの甥の一人とよく遊んだ。あの動画は、最後までは見ていられなかった。「大統領を見ろ。あの狂った発言を。警察よりずっとひどい。警察は奴らの手先だ。連中はバッジを着けているから、俺たちに好き勝手ができる」