コロナ時代の不安は、私たちの世界観を変える
The Relief of Uncertainty
金曜日なのにひとけがないニューヨークの金融街(4月3日) MIKE SEGAR-REUTERS
<世界中を飛び回ってきた旅行記者がニューヨークでの外出自粛生活で得た「諸行無常」への気付きと解放感>
今日は5日に1度の買い出しの日。近所のスーパーマーケットを目指して、ニューヨークのウェストビレッジを歩いていると、アルベール・カミュの1947年の小説『ペスト』の一節を思い出した。
カミュは、ペストの大流行に見舞われた当時フランスの植民地だったアルジェリアのオラン市を、「疫病と石材と暗闇によって、あらゆる声が沈黙させられ、廃虚同然の状態」になったと表現している。
世界有数の大都市ニューヨークを覆う沈黙もまた、新型コロナウイルス感染症という目に見えない怪物の存在を、あらゆる場所に感じさせるサインだ。今や街は静まり返り、パンデミック(世界的な大流行)のパニックがこの街にやって来た当初に見られた大量のトイレットペーパーを抱えて歩く人も激減した。
代わりに街に響き渡るのはカラスの鳴き声だ。閉店中のゲイバーに貼り出された紙には、「カネがない客に売る酒なし」と書かれている。この異常事態に社会がパニックに陥り、略奪が起こるのを警戒してのことだろう。
数少ない歩行者は、お互いに十分な距離を取っているだけでなく、擦れ違う人を見ることさえしない。いや、むしろお互いから目をそらしている。まるで目が合ったら、ウイルスに感染するとでも思っているかのように。
だが、最も不吉な光景は、救急病院の外に止まった冷蔵トラックだろう。荷台後部の扉あたりは白く細長いテントに隠れていて、病院から遺体が運び込まれる様子が見えないようにされていた。いわば移動霊安室だ。
旅行や料理をテーマにライターをしている筆者の元に、出版社から「新型コロナがらみでない限り、しばらく旅行関連の記事を依頼することはない」というメールが届き始めたのは3月半ばのこと。こんなご時世だけに、さほど驚きはしなかった。
だが、こんなご時世でも、食べることには誰もが喜びを見いだす。今や自宅でパンや焼き菓子を作るのが大流行しているし、インスタグラムでは有名シェフがこぞってバーチャル料理教室を開いている。
リアルに迫る死の可能性
私たちが今、直面している極めてリアルな恐怖を考えると、1年前、あるいはわずか数カ月前でも自分が悩んでいたことに笑ってしまう。額の生え際が後退しつつあることに真剣に悩むような無邪気な時代だったのだ。
だが今は、文字通り文無しになったり、ホームレスになったりする可能性が限りなく身近な現実になっている。それだけではない。愛する家族や友人が死んでしまう恐れもある。もちろん自分自身も苦しい死を遂げる可能性がリアルに存在するのだ。
これが新しいアブノーマル(異常)の時代だ。