コロナ危機:専門家への信頼が崩れるとき
Crisis Communication In Crisis
国民の行動は明らかに変容した。翻って、専門家や政治家はどうなのか(東京、4月25日) KIM KYUNG HOONSーREUTERS
<今、必要なのはクライシス・コミュニケーションだ。だが日本の専門家や政治家は「密」を続け、自らが手本になれていない。彼らのコミュニケーション能力こそが危機的だ>
「新型コロナウイルスが流行する今、平時のリスク・コミュニケーションは必要ない。危機時のクライシス・コミュニケーションが必要なのに、日本政府や専門家の情報発信はあまりに悠長だ」。
こう話すのは、リスク管理コンサルタントの西澤真理子だ。西澤はイギリス、ドイツでリスク・コミュニケーションを学び、帰国後は大手食品企業やIAEA(国際原子力機関)などでアドバイザーを務めた経歴を持つ、「リスクの伝え方」の専門家である。
彼女とコンタクトを取ったのには理由があった。もう10年以上の付き合いになるが、彼女が「平時ではない」と言った危機は過去に1つしかない。2011年3月11日の東日本大震災、福島第一原発事故の直後だ。
当時よく議論したのが、科学者や政治家の立ち振る舞いだった。彼女がアドバイザーを務めていた福島県飯舘村で、私が取材した人たちがこぞって揶揄していたのが「視察」だった。
「一緒に考えてほしいのに、専門家の意見だけ聞かされて終わる」──。信頼される専門家とそうではない専門家の違いはどこにあるのか。
当時、私がたどり着いた解は「科学的に正しいことを言っている否か」ではない。それは大前提で、自ら行動し、住民と悩みを共有し、共に考えるプロセスを大切にできること。危機であればあるほど、専門家の行動が信頼の判断基準になる。
クライシスを意識したコミュニケーションができていない──。西澤の指摘を実感する光景が目の前に広がっていた。初の緊急事態宣言が出された、4月前半のことだ。
日本の対策の要としてメディアで発信を続ける専門家、現場の最前線で新型コロナウイルスの患者を診る医師、安倍政権に科学的な側面からアドバイスする感染症専門家が都内に一堂に集まる機会があった。非公式な場だが、私のような記者もオンラインで会場の様子を見ることができた。
そこで繰り広げられていたのは、およそ広いとは言えない会議室で、2メートルは絶対にない距離で密接して座り、マスクを外した要職者が声を張り上げて自説を述べたり、大きな声で笑ったりする姿だった。