死に絶える中東和平と新和平案というだまし絵
トランプの中東和平案に反対して抗議行動を行うガザ地区の人たち Mohammed Salem-REUTERS
<トランプが「世紀の取引」と呼ぶ新中東和平案が、パレスチナやアラブの人々を絶望させた理由>
70年以上もイスラエルの軍事占領下で苦しめられているパレスチナ。イスラエル軍による不法な弾圧が続き、人々の生活は厳しさを増している。1月28日には、米ホワイトハウスでドナルド・トランプ大統領が仲良しのイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と共同記者会見に臨み、イスラエルとパレスチナの紛争を終わらせる新たな和平案、いわゆる「世紀の取引」を得意げに発表した。だが世界を翻弄し続けるトランプらしく、これもまったくの茶番だった。少し時間がたってしまったが、この和平構想について考えてみたい。
新和平案はある意味、「斬新過ぎて」誰も付いていけない内容だった。条件付きでパレスチナ国家樹立への道筋を具体的に示しているが、一方で、エルサレムを分断することなくイスラエルの首都とし、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸のユダヤ人入植者の退去も求めないことなどを条件としている。さらに将来建設されるパレスチナ国家に軍を持たせず安全保障をイスラエルに委ねるとし、パレスチナを主権のない国家とする構想だ。極め付きは、ヨルダンと国境を接する要衝の「ヨルダン渓谷」の主権をイスラエルに認めるという、事実上の併合を許す内容だ。
将来のパレスチナ国家の地図は滑稽という言葉以外、ふさわしい表現が見つからない。四方八方に散らばった建物を、トンネルや移動手段を使って強引にジグザグな線でつなげ合わせたようなもの。そして、国際社会や国連がこれまで決めた和平の原則を全く無視して、お友達であるイスラエルにパレスチナを丸ごと差し出すものだ。
つまり、パレスチナの領土を割譲する権利を持たないトランプ大統領が、そもそも権利のない占領者であるイスラエルに、パレスチナの権利を譲り渡そうとするような話だ。これによって、アメリカの和平仲介は終わりを告げたと言えよう。
そもそもこの問題は日本で思われているような宗教戦争ではなく、土地をめぐる争いだ。1947年に国際社会はパレスチナ人が住んでいた土地を、パレスチナ(アラブ国家)とイスラエル(ユダヤ国家)に分割する決議を採択したが、イスラエルはその決議を受け入れず今日まで無視し続けている。それによって第1次中東戦争が起き、圧勝したイスラエルがパレスチナ人を追放し、90万人以上のパレスチナ難民が生まれる結果となった。現在、国際社会のいう「パレスチナ」とは、1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領した領土のこと。これも国連決議によって占領地として認められている。パレスチナ人を含むアラブ人は、この土地は不法に占領されたもので、本来はパレスチナ人のものだと訴えている。
全ての責任はイギリスに
イギリス政府が「パレスチナにユダヤ人国家を建設すること」を認めたバルフォア宣言から約100年以上が経過している今も、大半の日本人はその宣言の真相を理解していない。また、中東問題の真相を理解していない。さらに言えば、イスラエル建国の真相を理解していない。中には宗教による対立問題だと見ている人も少なくない。
歴史をたどっていくと、この問題を作り出した全責任はイギリスにある。いわゆる1917年11月2日にイギリスの外相とユダヤ人の間に交わされた密約「バルフォア宣言」の結果だ。当時のイギリスは第1次大戦におけるアラブ人からの支援と引き替えに、パレスチナをアラブ人にあたえる誓約をしていた。しかし最終的にその約束を破り、バルフォア宣言をしたことが、現在に至るパレスチナ問題の原因となった。
今回、私と同じようにテレビ越しにトランプの新和平案を知らされたアラブやイスラム世界の多くの人は、これは「世紀の取引」ではなく「世紀の厚かましさ」だと皮肉った。
しかし、茶番を演じる他人(トランプやネタニヤフ)の滑稽な姿の中に自分自身の姿を発見したとき、私たち(アラブ人やパレスチナ人)はどうすればいいのだろうか。 これは複雑な気持である。トランプが世界を無視し続ける勢いには歯止めがきかないが、これに頭を下げ続ける大半の国々の滑稽な姿も目立つ。アラブ諸国の政府も同じありさまで、これに大半のアラブ人は失望のどん底に突き落とされる。新和平案の発表を受けて、アラブ諸国からトランプへ抗議の電話が鳴り止まないだろうと私たちアラブ人は期待していたが、残念ながらそうはならなかった。そればかりか、新和平案が発表されたホワイトハウスの記者会見には、UAE(アラブ首長国連邦)及びバーレーン、オマーンの駐米大使も出席していた。トランプが、和平案の作成に協力してきたアラブ諸国に感謝の言葉をかける場面もあった。これをテレビ越しに見ていたアラブ人の多くは、おそらくそれまで感じたこともない憤りと絶望を覚えただろう。