夜更けの街で酔っ払いを乗せて──ライドシェア運転手の告白
The Drunk Men I Drive Around Every Night
つまり、ライドシェアで飲酒運転が減っても、飲酒自体は増加し、飲酒以外の公衆衛生上のリスクも増大する恐れがあるわけだ。「今回の結果からは、ライドシェアが最終的に社会に及ぼす影響が、既存の文献や政策議論以上に複雑である可能性がうかがえる」と、研究チームは結論付けている。
私が乗せる客のほとんどは中年男性。午前2時半前頃にオレゴン州ポートランド市内や周辺で、まともに話せないほど酔っている。
ジェームズの前の晩は同じパブでアダムを乗せた。アダムのような客は多く、50代が中心でインテルなど近くのIT大手で大儲けした連中じゃないかと思うが、確信はない。
アダムにはバーテンダーが付き添っていた。酔った客に代わって、彼らが客のスマホで車を呼ぶことも多い。ウーバーやリフトの運転手として、自分が酔わせた客を家まで送るつわものまでいる。
赤い顔の怒れるアダムたちを乗せて走るうちに、小遣い稼ぎで運転手をすることへの罪悪感が芽生えた。車を降りた後、彼らはどうなるのか。彼らの多くは助手席に座り、話したくてたまらないようだが、名詞一つ出てこない。
一方、ここならバレないだろうと女性蔑視発言をする連中も多い。私は口出ししない主義だが、ひど過ぎる場合は話題を変えるように言う。それでも駄目なら降りてもらう。
大学フットボールの全米ナンバーワンを決めるローズボウルでオレゴン大学がライバル校を下した夜、ビーバートンの民家で中年男性2人組を乗せた。オレゴン大学を応援しているのは一目瞭然で、目的地に着くなり、駐車場でライバル校のTシャツを着た女性を見つけ、わいせつなジョークを言って笑った。黙っている私に、1人が言った。「どうした? 笑ってないな」
昼間にリフトやウーバーの運転手を乗せることもある。彼らがバーの閉店時間に遭遇した客のことを聞くと、笑いながらお決まりのフレーズが返ってくる。「道路に寝っ転がるよりは、後部座席のほうがましさ」
飲み過ぎを助長することに、良心の呵責を感じないかと尋ねると、彼らは肩をすくめて言う。「俺たちの稼ぎどころじゃないか」
酔っぱらいの奇妙な論理
バーの店員の助けを借りずに私の車に乗ることができて、まだ話ができる客の中には、「おかげで1万ドルの節約になった」と言う人も多い。
確かに、私のおかげで飲酒運転の罰金を節約できたわけだし、路上より後部座席のほうがはるかにましだ。でも、酒が健康に及ぼす影響や彼らの家族の苦労を考えると複雑な思いが募る。
私が乗せる酔っぱらいたちは、自分がどれだけ飲んだのか気にしていないようだ。自分で運転しなくて済んだ、飲酒運転で捕まらなくてよかった、飲みに行けてよかった。それしか考えていない。